アリスインデッドリースクールパラドックスの全14公演が無事に終了しました!ご声援、ご来場頂いた皆様本当にありがとうございました!全公演、満席・超満席で感激しました。この作品の凄さを改めて思い知りました。
公演も終ったし、どっか出かけるか!と思ったのですがあいにくの台風なので家にこもって振り返りブログを書いております汗。明日から9月の劇団公演の稽古もさっそくはじまるので切り替えるためにもブログを綴ることにします!

昨年のビヨンドに引き続き、今回のパラドックスも演出をやらせて頂いたのですが、正直、ものすごいプレッシャーがありました。ビヨンドはありがたいことに大変評判がよく、自分でもかなり良い物ができたという実感が稽古中からありました(完成度が高いという意味で)。経験豊富なキャストが大半で演技指導的な部分にほぼ時間を割くことなく、作品としてどうしていくかという部分に多くの時間をかけることが出来たので、より自分のイメージしていた物に近い作品にできたという実感ですね。ただ、KASSAIという少しコンパクトな空間で17人のキャスト(最大19人になることも)を動かすということに非常に苦心し、ちょっとうまくやれなかった部分もありました。それは「デッドリーといえばこのセット」という呪縛に捕われていた自分が原因だったのですが…。美しい絵があまり作れなかったという心残り。それ以外は自分でもかなりの満足度でビヨンドは幕を閉じました。

そして今回のパラドックス。…まあ何かと大変でした。でもその分、色々考えることができたし、何より燃えました。私もすごく良い経験をさせてもらいました。座組の皆がもの凄くこの作品を通じて成長していったのと同時に、私も成長させてもらいました。プレッシャーは凄かったけど、本当にやってよかったなと思っております。ビヨンドでうまくやれなかった部分もセットを変えたことで乗り越えられたし、我ながら「ああ、いい絵だな」と思えるシーンもたくさんありましたし。
ちょっとプロローグが長くなってしまいましたが、演出ノートの意味合いも込めて制作過程のお話をしたいと思います。公演も終了したのでネタバレ含みます。もしかしたらまたどこかで再演される可能性もあるので、ネタバレを見たくないという方はご遠慮ください。

まず私が注目したのが、ビヨンドからの脚本の変更点です。一読しての率直な感想は「メチャクチャ変わったじゃないの!」でした。個々のキャラクターを考えて行く上で変わった要素もあれば、作品全体を通じて変わった要素もある。キャラクターの部分は役者に委ねるとして、作品全体に影響を及ぼす部分をまず考察して行きました。
やはり一番大きかったのは、この作品の主人公・ユウとノブの関係性の変化ですね。この作品のテーマの一つである「極限状態での笑い」、その部分に強く関与して来るのがユウとノブのお笑いコンビ・ノビューンなのですが、今までのデッドリーのノビューンは極限状態でも笑いを発信できる存在、つまり少し無敵感を感じさせるコンビだった。もちろん、実は2人は決して無敵なのではなく、ユウにはいじめられてたりひとりぼっちだったりした過去があり、ユウとノブはお互いがいなければ強くいられない関係だったことが明るみになり、それが終盤での2人の別れをより切ないものにするわけですが。ただ、中盤ぐらいまでは無敵です。その2人が今回のパラドックスでは冒頭から解散問題で揺れているのです。そこでまず今回のパラドックスの一つの方針が決まりました。
ノビューンの2人は、極限状態でどれだけ明るく振る舞っても無敵状態にはなれない、また無敵状態にするべきではないという方向性。第一の決断です。もちろん、これを決めた段階ではそのことが作品にどのような影響を及ぼすかわかりません。でもそうしないといけないと思いました。この『ノビューンを無敵にできない』問題は稽古をして行く上で徐々に答えが見つかって行くのですが…(その辺りはキャストについて書くブログで触れたいと思います)。最初から分かっていたことは「今回のパラドックスはビヨンドより更に群像劇になるな」ということです。ビヨンドをなぜ群像劇にしたかは昨年のビヨンドについて書いたブログをご参照ください。
次に大きかったのは「八方と七里」の登場です。八方は「今まで描かれていなかったゾンビの存在を明確に示す」という役割であり、七里はこの作品のキーマンでもある氷鏡の立ち位置に大きな変化を与える役割でした。八方は作品に更なる恐怖と緊迫感を、七里は氷鏡が提唱する「多世界・繰り返される世界」により本当にそうなのではないかという感覚をもたらします。しかし、私が作品にとって一番大きな影響なのではないかと思ったのが「2人が死ぬこと」でした。今までのデッドリーでも沢山の人が亡くなっているということには触れられていますが、観ている人が「死」を目の当たりにすることはありませんでした。皆様が最初に遭遇する舞台上の死は和麿が焼却炉に身を投じるシーンです。そして高森の爆死するシーン。沢山の人が死んでいるにも関わらず、直接描いていないことで和麿と高森の死ぬシーンはより浮き立ちます。しかし、今回のパラドックスでは和麿と高森の前に、直接的に描かれた「死」が存在したわけです。和麿と高森の死があまり浮き立たないのではないか?そんな疑問が頭をよぎりました。ただ、ここら辺は脚本の麻草さんも認識されていたようで、八方と七里の「死」は和麿と高森の「死」と明確に色分けがされています(本当に細かいところまで配慮した脚本を書くお方です。頭の中どうなってるんだ笑!)。そのため、パラドックスでは和麿と高森の「死」は「死」というインパクトよりも「自己犠牲」という部分がより強調されていたように思います。しかし、観ている人がどのような印象を抱くのかを予想することは難しい。そのため、八方と七里の「死」と和麿と高森の「死」をより明確に分けた方がいいと考えました。
そこで思いついたのが「音と照明による死の演出」でした。すいません、「死の演出」だと語弊がありますね。なんというのでしょうか…「隔離の演出」と言うのがしっくりきますかね。つまり、今生きている人たちとは隔離されてしまう、別の世界の住人になってしまう(死後の世界ではなく別の世界です)というイメージ。トークショーでもお話ししましたが、私はデッドリースクールを「多世界の一つの流れ」と考えて作品作りはしていないので(脚本上は繰り返される多世界でオルタナティブやビヨンド、パラドックスと言った少し異なった選択肢があるのですが、ひとつひとつの作品は多世界前提で演出しない方がいいのではないかと思っていますので)、感覚としての「別世界」というイメージです。あの「チリン」という音は別世界への入り口の音。あの音が直接聞こえると隔離されてしまう。八方と七里はあの音を直接聞いてしまう。実は2人が直接的に聞いたあの音を、和麿と高森は間接的に聞いていました(あの音に影芝居で反応していました)。どこまで観ていたお客様に伝わっていたかは分かりませんが、私の中では、

・八方:「チリン」という音を聞き、完全に隔離された人(和麿によって実体である「体」を壊され
    る)
・七里:「チリン」という音を聞き、完全に隔離される途中で絶望し自らの手で体を壊す(自己犠牲
    ではない)

・和麿・高森:「チリン」という音を直接的に聞く前に(隔離される前に)、自ら命を絶つ(自己犠
       牲)

という感じです。はい、ここまで書いてお気づきの方がいらっしゃると思いますが、ノブもこの「チリン」という隔離の音を聞いています。立場的には七里と同じです。しかし、ノブは絶望ではなく、隔離される途中で自らユウのために屋上を出て行くという選択をします。…泣ける。ノブ役の武井サラちゃんが、小さな背中を見せ、おぼつかない足取りで屋上を出て行くシーンは今思い出しても本当に胸が締め付けられます。あのシーンで「チリン」という音をノブに直接的に聞かせるべきか結構迷いましたが、心を鬼にして音を入れることにしました。

むむむ、やはりデッドリーのことを書くと長くなってしまいますね…。その他、まだまだ細かい脚本の変更を考察した部分があるのですが、とりあえず大きな考察は以上です。

あとは稽古しながら、今回のキャスト陣に合ったデッドリースクールにしようと心掛けました。デッドリースクールは作品自体のファンの方も多く「この役はこうじゃないと!」「このシーンはこう描いて欲しい!」というものがあるので演出する方も演じる方もなかなかに難しい部分があるのですが、私としてはやはりこのキャスト陣でやる意義というか、そういう部分が演劇をやる上では大事だと思っているので、決定的な誤りがなければ基本的にはキャストに合ったキャラクターにしたいという気持ちで演出しました。私としては全部のキャラが魅力ある人物に仕上がったなと思っております。演技経験の少ない子も多くいましたが、みんな短い稽古期間で自分たちがいけるギリギリまでやってくれました。「こんな成長した座組は初めてかも」と思えるぐらい、皆メキメキ良くなって行きました。技術的にはまだまだ改善できる部分はあったかもしれません。でも、みんなの「絶対いいものにしてやる!」というむき出しの感情がそのまま作品に昇華され、ものすごくエモーショナルなデッドリースクールになったのではないかと思います。みんなの熱演を稽古場でいつも目の当たりにし、私も胸を締め付けられ、稽古終盤では「これはビヨンドとはまた違った凄いものになる!」と思いました。主演の橋本瑠果ちゃんが千秋楽の時に「年齢が若いから今回のノビューンは…と言われるのは絶対に嫌だった」と言っていましたが、本当に素晴らしいです。短い間でしたが、この夏、デッドリーの世界に触れた全キャストが一段階も二段階も上に行けたのではないかと思います。千秋楽後の打ち上げでは、涙するキャストも多かったのですが、みんなやり切った素晴らしい表情をしておりました。本当にみんなと一緒に作品作りができて良かった。ありがとう!
公演を支えてくださった全スタッフの皆様、公演を応援してくださった皆様、そして劇場にお越し頂きキャストと一緒にデッドリーの世界を目撃して頂いた全お客様、本当に本当にありがとうございました!心から御礼申し上げます。

ではでは今回はこの辺で。次回はキャスト別のブログを書きたいと思います。