こんな国家資格がほしい!「主婦資格」「親認定資格」「政府監視人」
資格があれば、あんなことやこんなことがなくなるのに……と思う人は多いと思います。知識やノウハウがな.......... ≪続きを読む≫

国会議員の不祥事や無能ぶりが露呈すると、「国会議員の立候補に試験・資格制度をもうけるべき」という声があがります。ネット上では意外と支持者が多いようですが、国会議員試験の導入は、憲法違反であり、かつ民主主義の放棄です。

 

憲法違反というのは言うに及ばないので、ここでは割愛します。

 

民主主義の放棄というのは、立候補の自由は投票の自由に表裏の関係にあることから、立候補の自由自体民主主義の根幹です。平たくいうと、どのような議員を選ぶかは国民の責任である、ということです。「われわれ国民は国会議員を選ぶ能力がないので、試験で選んでください」と、言っているようなものです。

 

さらにいうと、その試験自体いったいどうやって運用するんですか?

 

たとえば、「国会議員が靖国参拝することについて」という論文問題を出題した時に、それに賛成する立場の人間が採点したら、靖国参拝に反対する立候補者を不合格にするでしょう。そこまで露骨なものでなくても、試験の作り方や採点の仕方によってどうとでもなります。政治・経済・法律といった最低限度の社会知識に限定するといっても、思想調査のような試験を盛り込むことは十分に可能です。

 

仮に上記のような試験問題について、内心は靖国参拝反対だけども、立候補資格を得るために「参拝賛成」と書いたとします。しかしその後、靖国参拝者を弾劾・糾弾する際、かかる試験結果・答案を持ち出して「あなたはそもそも靖国参拝賛成ではなかったのですか?」と、弾劾・糾弾の説得力を落とすことも可能です。

 

資格試験ですので、「高度な行政裁量」が働きやすい場面です。問題作成はともかく、採点に際してブラックボックス化させることも可能です。司法試験ですら、採点委員の採用する学説を採用しないといい点とれない、と噂されていたくらいですので(今は知りませんが)、時の政権にとって不都合な答案を不合格にしたとしても、民主的過程で検証することもできません。

 

いずれにしても、試験制度の導入により、政権に忖度する試験問題・採点がされる可能性は極めて高く、民主的過程により検証できないことから、極めて危険な制度であるといわざるをえません。導入賛成論者はそこまで考えているのでしょうか。