2010年7月31日付朝日新聞の、堀江貴文氏(いわゆる「ホリエモン」、以下、「堀江氏」とする)の「この役員報酬では驚かない」からの引用です。


過大な役員報酬の開示義務について、以前にも当ブログで書かせていただきました(その内容はこちら )。


堀江氏は、株主や投資家からの視点から、有価証券報告書で足りる、社長が犯罪等に巻き込まれるおそれがある、ということを指摘して、開示に消極的な意見を述べています。


ただ、開示は何も投資家たちのものだけではありません。

→堀江氏は、不服なら株式を売ってしまえばいいなどと、暴論に近いようなことをぬかしている。その理論は極論すると、経営者の胸三寸(情報開示をするか否か)で、株価を決定させることもでき、脱法的な株価操作を誘発することにすらなりかねない。


たとえば、労働組合が団交するにあたって、個別の役員報酬を知っていないと、ベースアップ要求額を算定することすらできない。

→業績が悪く、かつ、社長の給料もほとんどとっていない状態では労働組合も実力行使をすることは差し控えるが(沈みかけた船で暴れて自分たちもろとも沈没したら元の子もない)、従業員を冷遇し役員だけ高報酬を受け取っていれば、労働組合としては実力行使して戦おうという決意がうまれる(組合の士気向上にも資する)。


また、消費者がこれを知ることによって、商品や企業に対する社会的制裁を与えることもできる。

→たとえば、ある商品が100円で販売されていた。しかし、役員報酬を半額にすれば、90円で提供できることを知ったとき、果たして消費者は今まで通り、100円でその商品を買うのだろうか。


さらに、取引先や得意先、融資元などからしても役員報酬の開示は重要です。

→過大な役員報酬をもらっておいて、銀行等にリスケを要求したり、取引先への支払いを遅延したりするのはおかしいということになる。


結局、堀江氏は、株主や投資家視点のみで検討しているから、このような発言をするのであって、企業がもはや投資家(株主)たちだけのものではないという(上場企業の社会的責任論など)ことを軽視しているものであるといえます。


前回は特に株主視点のみで書きましたが、今回は、堀江氏の発言を受けて、株主以外の視点から、報酬開示の是非について検討してみることにしました。