続いては一休さん。


とんちで有名なこのお坊さん。実在の人物であり、名を一休宗純(いっきゅうそうじゅん)という。


TVアニメではできた小僧さんであるが、実際のところは相当の破戒坊主であったという。


その例をいくつか。

・印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
・男色はもとより、仏教の戒律で禁じられていた飲酒·肉食や女犯を行い、盲目の「森侍者」(しんじしゃ)という側女(70歳年下という話も)がいたり、「岐翁紹禎」という実子の弟子がいた。
・朱鞘の木刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。
・親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如上人は『俺の商売道具に何をする』と言う発言を残している。
・正月に、杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。


マンガ最○記の三蔵法師に負けず劣らずのハチャメチャぶりである。


TVアニメでは、将軍様(室町幕府第3代将軍足利義満)が桔梗屋と組んで一休さんをとんちで負かそうとしている場面が多い。


ちなみに、一休生誕時既に足利義満は将軍職を息子足利義持に譲っており、正確には元将軍ないし太政大臣である。足利家において将軍とその長男以外は僧籍に入ることが義務付けられているため、その当時足利義満は頭を丸めているはずである(現に引退後はいずれの足利将軍も僧籍に入っている)。


一休さんと将軍様とでは、一休さんのほうが偉い。


偉いというと語弊があるが、身分からすると一休のほうが上ということになる。


というのも、一休さんの父親は南朝方の後小松天皇である。とはいっても落胤であるため、皇子や親王としての身分をもたないため、その意味では一休はただの小僧ということになる。ただ、北朝の足利義満としては南朝の勢力拡大を防ぐため、後小松天皇の子供である一休を寺に送ったのであるといわれているらしい。


それなのに、なぜ一休さんと将軍様は仲がよいのだろうか?この点謎である。


安国寺が一休さんの舞台となる寺であるが、実際のところは幕府公認のためけっして貧乏ではない。


また、金閣寺に将軍様が住んで仕事をしている描写があるが、その当時金閣寺はない。また、将軍の執務場所は金閣寺ではなく花の御所である。


蜷川新右衛門が寺社奉行として、なかば将軍様の使いっぱしりな面を見せているが、室町幕府の職制に寺社奉行なるものは存在しない。


まあこんなところでしょうか。子供向けのTVアニメですし、野暮な突っ込みはなしよといわれればそれまでですが、単なる遊び心の突っ込みですので、その辺はご愛嬌ということで。


小生は歴史の専門家ではないので、誤りがありましたらご指摘くだされば幸いです。