水戸黄門といえば、諸国を漫遊し行く先々で悪を退治する時代劇である。


水戸黄門は実在の人物である。


本名を徳川光圀。水戸藩第2代目藩主で、かの徳川家康の孫である(徳川家康の十一男、徳川頼房の子)。


この水戸黄門。実際には諸国漫遊どころか、ほとんど江戸を離れていない。それもそのはず、御三家は五代将軍綱吉の時代から江戸常勤となり、領国に帰ることも稀であったのだから、諸国漫遊なんてとんでもないことである。ただ、史実として、鎌倉に出向いたことがあるという。


仮に、水戸黄門が諸国漫遊できたとして、問題点はある。


まず、どうやって関所を通過できたのか疑問である。


関所の通過には、原則として通行手形が必要となる。水戸黄門も、大名行列とかではない限り、通行手形が必要となり、こっそり関所を抜けると「関所破り」としてその場で磔となってしまう。


もちろん、関所を守る武士は水戸黄門にくらべはるかに身分は下であるため、顔パスということも考えられなくもない。ただそれば「御三家としての水戸黄門」であって、一介のちりめん問屋の黄門様が顔パスなんてできるはずもない。


ただ、正規に通行手形を発行してもらえれば別である。


通行手形の発行権限は武士の場合は、各藩ないし所属の上司、庶民の場合は町・村役人ないし菩薩寺になる。いずれにしても、通行手形が身分証明書としての機能を有する以上、身分を伏せての黄門様に正規に通行手形が発行されているとは思えない。しかし、黄門様は水戸藩の元藩主であるから、その権限を利用してお供の者たちも含めて通行手形を発行したと考えるのが妥当であろう。


次に、諸藩での大立ち回り。これは明らかに当局の職権を侵すものであると考えられる。


幕藩体制において、いかに将軍といえども諸藩の自治権については侵すことはできない。しかし、大名監督機関として大目付がいる。


大目付は老中の部下で、3000~5000石クラスの旗本が就任する。大目付は旗本の中でもトップクラスで、下手な外様大名よりも格上にあるとされていた。今風に言えば、総務省事務次官ないし自治行政局長といったところだろうか。御三家である水戸黄門より格下であることには違いないが、それでも大目付の面前では庶民は土下座をして礼を示す。


これだけ各地で大立ち回りをすれば、たちどころに大目付に気づかれる。大目付は当然のことながら、上司である老中に報告するし、老中会議でも黄門様の話題となるだろう。そうなると、身分を伏せて諸国漫遊なんてできるのだろうか。


これについては、将軍の鶴の一声がかかっているのだろうと推測する。大名たちも、御三家とはいえ他国の介入をされたまま黙っているのは、下手に目をつけられて改易処分(おとりつぶし)されるのがこわかったのだろう。


路銀について。


番組始まってすでに数十年経っているが、そんなに旅行していたら確実に藩財政は破綻する。まして、うっかりはちべえという、行く先々で食べてばかり者もいるので、カネがいくらあっても足りないだろう。その間に、助・格らの給与も支払わなければならない。


とすると、行く先々で世直しをした礼金をもらっているのではないかというのが、妥当であろう。黄門様の世直しサービスもけっして無料ではないということだ。


まあ、憶測と推測とお遊びで書いたものです。時代劇だから何でもあり、その辺は目をつぶれという突っ込みはなしでお願いします。


ただ、小生は歴史の専門家ではないので、誤りがあれば突っ込んでくだされば幸いです。