気付きの話 | life-size me! 自分らしさ全開で、毎日を幸せにする心の魔法の使い方

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他人軸バリバリのいい子ちゃん出身の子持ちアラフォー女子が、自分らしく、自由な人生を取り戻していくまでの全過程を記します!

好奇心旺盛なため、学習テーマがコロコロ変わりますが、目的地はいつでも、「豊かで幸せで自由な人生」!

愛あるみなさま、こんにちは!

 

 

サトヒです~チュー

 

 

前回のブログ、個人的にはかなりスピリチュアってるつもりだったんですけど

 

 

「全然スピを感じない!もっと全開にしやがれ!!」

 

 

と激励のコメントを頂いたので(笑)、遠慮なくフルオープンで書かせて頂こうかと思いますww

 

 

もうね、多分、この感覚を言語化しようとしたら、どうしたってスピリチュアルに偏ってまうで~笑い泣き

 

 

・・・ということで、私の中で起こった、思考と気付き(意識)の分離のお話

 

 

私の思考(理性?)が限界を迎え、「もうこれ以上頑張れませんえーんと負けを認めた瞬間、それを見ている自分に気付きました

 

 

その自分は、「観察者」としか言いようのない感覚

 

 

負けを認め、白旗を振った自分を、ただ見ている自分

 

 

思考的な自分に、ただ気付いている自分

 

 

その自分は、ずっと前から、ずっとそこにいて、私を見ていたもの

 

 

何も批判せず、何も否定せず、何もジャッジすることなく、そこにずっとあったもの

 

 

本当に、ただただ私を見ている意識

 

 

おそらく、それがいわゆる”本当の自分”とつながっているものなのかもしれない、と思いました

 

 

それは、魂、神、全て、大いなる自分、ハイヤーセルフ、全体性、宇宙・・・その他、様々な名前で呼ばれている何か

 

 

でも、もしそれが「神との対話」はじめ、数々のスピリチュアル本で言われている通り、”本当の自分”なのだとしたら

 

 

「今私がこうして自分だと思っている自分は一体何なんだ?」と、理性が混乱する

 

 

そう、おそらくそれが、いわゆる”エゴ”と呼ばれるものなのだろう

 

 

エゴとは、自分の一部であり、自分の全てではないもの

 

 

これが自分自身だと思い込んでいる自分であり、実体ではないもの

 

 

幻想としての自分

 

 

私が、こういったスピリチュアル的な話に触れるようになったのは、「引き寄せの法則」を知ったのがきっかけで

 

 

どうにか、自分の復縁・恋愛を叶えるべく、必死にこの概念を理解しようと頑張っていた時期があるのですが

 

 

その当時、引き寄せ板という掲示板で神がかっていた108さんという英雄?が書いた電子書籍、「ザ・チケット」

 

 

そこに書いてあった話を思い出しました

 

 

「エゴは、願望を実現する力など、一切持っていません」

 

 

当時は、この本に書かれている「別の領域」とか「エゴ」とか、もう何を言ってるのかさっぱりわからなかったんですがww

 

 

この体感が、もしかしたら”それ”なのかもしれない

 

 

実体であり、観察者としての自分と

 

 

幻想であり、体験者としての自分

 

 

それはいわゆる「映画を見る自分」と、「役者として演じている自分」のようなものと言われる

 

 

それらのどちらもが自分自身ではあるけれど、体験者としてのエゴの自分は、観察者としての自分という全体性の個別の表現でしかない(あぁ、言語化が難しい)

 

 

そして、そのエゴとしての自分の部分は、自分の思考によって自分の人生をコントロールしているつもりになっているけど、実際はそうじゃない

 

 

なぜなら

 


「エゴは、願望を実現する力など、一切持っていません」

 

 

からニヤニヤ

 

 

引き寄せの法則について、生半可な知識を持っていたが故

 

 

>自分の思考をコントロールすることで、自分がなりたい自分、手に入れたいものを手に入れられると思い込んでいた

 

 

ために、逆にエゴがめきめきと力を得ていたのでしょうね笑い泣き

 

 

思考を常に監視し、コントロールすることで、自分の人生をもコントロールできる気になり、エゴが肥大するという逆効果

 

 

本来の「引き寄せの法則」の本質的な意図とは、「大きな流れに身を任せれば、全てがうまくいくようにできているということを知ること」、だったのかもしれません

 

 

ただし、その「うまくいく」というのは、エゴでは理解できない領域の話だということが、なかなか思考的に理解できずにつまづくポイントなのかも・・・

 

 

というわけで、改めて

 

 

「エゴは、願望を実現する力など、一切持っていません」

 

 

が体感で腑に落ちた私は、自分の思考がどうあっても大丈夫なんだ、と安心することができたのです

 

 

自分が何を感じても、何を考えても、それによって私の人生が不利益を得ることはないのだと

 

 

(そもそも、不利益と感じること自体が、エゴの幻想でもあるわけですが)

 

 

どんなネガティブな思考も感情も(そして、ポジティブなものすら)、エゴとしての自分が選んだ、幻想に対する反応にすぎない

 

 

そしてそれは、何の力も持たないし、本質的な自分の価値に、何の影響も与えない

 

 

私は、それによって何も得ることはないし、何も損なわない

 

 

だから、何もコントロールしなくてもいい

 

 

反応する自分を、感じて手放すだけでいい

 

 

そして、”本当の自分”と呼ばれるものは、その自分を観察している側の自分であり、その自分はこれまでも、今も、これからも、常に傍にあって

 

 

私が私だと思い込んでいるエゴとしての自分を、ジャッジすることなく、温かく見守ってくれていたのだと

 

 

それは、まさに「愛」と呼ばれる感覚なんじゃないかと

 

 

そう思って、泣けたのでした(と思っているのも、エゴの思考ですけど~)

 

 

そこでふと思い出したのが、この本

 

 

守護霊とか、天使とか、そういうワードには未だに抵抗がある私ですがw

 

 

「あなたは、絶対守られている」

 

 

だから、怖れを感じなくても大丈夫

 

 

怖れを感じていても大丈夫

 

 

その怖れは、全て幻想だから

 

 

全ての出来事は、必要なことが流れるように起きているだけのこと

 

 

だから安心して、好きなように生きて大丈夫

 

 

今回の気付きと思考の分離によって、そんな体感を得たのでした

 

 

長くなったので、この辺でグッキラキラ(引いてない?)

 

 

ではまたラブラブ