忘れさりし自己価値を求めて ① | life-size me! 自分らしさ全開で、毎日を幸せにする心の魔法の使い方

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他人軸バリバリのいい子ちゃん出身の子持ちアラフォー女子が、自分らしく、自由な人生を取り戻していくまでの全過程を記します!

好奇心旺盛なため、学習テーマがコロコロ変わりますが、目的地はいつでも、「豊かで幸せで自由な人生」!

愛あるみなさま、こんにちは!
 
 
サトヒで~っすチュー
 
 
タイトルは、ドラクエっぽくしてみましたwwニヤニヤ
 
 
(出典:ドラクエⅩⅠ 過ぎ去りし時を求めて…なんだけど、元はプルーストの小説じゃない?と疑っている私)
 
任天堂スイッチ版が出るそうです!→宣伝
 
 
はい、前回からドラクエネタがしつこくて、すみませんw
さて私、お師匠様の弟子講座を卒業し、1ヵ月迷った結果、お弟子サロン(仮)というものに所属しておりますウインク
 
 
それは、弟子講座より一歩踏み込んだ、カウンセラーを仕事としてするために、より具体的なアドバイスが満載のオンラインサロンなのですが
 
 
そのメンバー向けの、次回セミナーのテーマが
 
「自己価値を高める」
 
 
自己価値の重要性については、私自身も感じていて、仕事に限らず、人生全般の全てにおいて
 
 
「自身で認めた自己価値分の経験しかできない」ものだと思っています
 

言うなれば、「人は自己価値に見合った経験だけを選び取っている」とも思っています
 
 
だから、カウンセラーとしての成功はもちろん、自分の望みを人生で叶えるためには
 
 
「その成功にふさわしいと思える自己価値を、自分自身で感じられていること」
 
 
がマストだと思うんですよねチュー
 

そう、頭でっかちな私は、理屈はわかってるつもりなんだけど…
 
 
知識として知ることと、行動としてやってみるのは大違い~笑い泣き
 

で、次回セミナー参加前の宿題として、「自己価値」についてアレコレ考えるキッカケを頂いているのですが
 

その中での気付きをブログネタにしてしまう次第でございます❣️(師匠の許可をもらったので)
 
 
気付いてしまった大前提
 
何かをしようとして、それができない場合、その裏には「それをしたくない怖れ」というのが隠れているものです
 
 
ですので、私のように頭では「自己価値を高めた方がいい」とわかっていても、なかなかそれができないのであれば
 
 
それをすることに対して、何か嫌だと感じる心の抵抗があるわけですな滝汗
 
 
その怖れというのは、大概無意識下に眠っているものなので
 
 
「自分の価値を認めてしまったら、何が起こると思っているのか?」
 
 
を考えてみることで、意識上に炙り出してみるのが、宿題の意図だと解釈しておるわけですが
 
 
私が、「価値を認めることの怖れ」と向き合ってみた結果…
 

わかったのが…
 
 
なんと…(無駄に引っ張ってみる)
 

「価値を認めると、傲慢で嫌なヤツになると思っている!」
 

ということポーンポーンポーン
 

もちろん、その傲慢さの背景には、「人から嫌われる怖れ」がもれなく付いてくるわけだけど滝汗
 

私の無意識のイメージでの「自己価値の高い人」というのは
 
 
「傲慢な勘違いヤローで、他人の痛みに共感できず、自分勝手でワガママで、他人を見下し、大切な人を無視して暴走する、自分が嫌いなタイプの人」
 
 
だったのであーる。URであーる。
 

そりゃ、「自己価値を認める」ことに、必死の抵抗を感じてもおかしくないわな…と、個人的には目から鱗ポーン
 

もちろん、自分が嫌いなタイプなのだから、他人からも嫌われると思うでしょう。それが投影ってもんですわニヤニヤ
 

他にも、こんなこと感じている人いないかな、と思ってネット検索してみたら(すぐ調べるのが私の良いところ♪)
 
なかなか自分の価値を認められない人が陥っている勘違いは、「自分の価値を自分だけで認めても、それは結局、独りよがりな自惚れであり、現実から目をそらしているだけの自己欺瞞であり、ごう慢で無責任な態度なのではないか」ということではないでしょうか。

なんて、ドンピシャな表現を見つけた。(こちらのブログ
 

そう、自惚れるのも恥ずかしい。他の人からそう思われてないのに、自分だけが勝手にそう思い込んで偉そうにして、「バカじゃん」って思われるのも怖いゲッソリ
 
 
自己価値を認めることは、私にとって「恥ずかしい」ことでもあったのかもしれない笑い泣き
 
 
そもそも、なんで自己価値が高い人に、そんな嫌なイメージが付いてしまているのかと言えば、やはり過去のトラウマというか、傷ついた経験に端を発しているとは思うチーン
 
 
小学校4年生くらいの時、友人に誘われて吹奏楽部に入ったのだが、私が部活を楽しんでいる様子が気に食わなかったその友人は
 
 
寂しさから来る嫉妬心なのか、かわいさ余って憎さ100倍ともいうのか
 
 
「最近、サトヒが調子に乗ってるから、無視しよう」
 
 
などと周りに吹聴し、周囲を巻き込んで、私のことを無視したのであるムキー
 
 
幸い、別の友人の密告により、半日でその「無視令」は解除されたのだが、その経験は私にとって結構な心の傷になっているらしく、今でもたまに思い出すことがあるムキー
 
 
(壮絶ないじめを経験した人には申し訳ないくらい、ささいな出来事ではありますが、メンタルの弱い私にはなかなかのトラウマと自負しております。)
 
 
注:余談ですが、その友人には、国語の作文を使って復讐を果たしたというオチ付き…擬人化で作文を書くという時間があり、私は「黒板」の視点で、その友人の悪行?を赤裸々に作文に書き、グループ内のシェア中に直接謝らせるという仕返し??をした。言うほど、メンタル弱くない私w
 

そのせいなのか、どこか私は「調子に乗ると嫉妬される、嫌われる」という思い込みを持っていますチーン
 
 
でも、それももっと掘り返してみれば、オカン問題につながる気もしていて、「オカンが大変なのに、自分だけ楽に楽しく生きていてはいけない」という思い込みもあるような気がします
 

まぁ、それは結構手放してきたかな?と思うけれど笑い泣き
 

ただ、そこで冷静に考えるべきは、本当に「自己価値が高い人」って私が無意識に思ってる人なの?ということ。
 

それは、絶対に違うと思う。
 

本来の「自己価値が高い人」というのは、先ほどのリンクにもある通り
 
 
”人は、自分を認められれば、ますます謙虚になり、他人を尊重し、自分の人生に責任をもてるようになるものです。”
 

であり、私がそうありたいという姿、そのままなはずなのだと思います
 

しかも、お師匠様によれば、嫉妬というのは「自分の価値を認めていない時にこそ起こるもの」なわけでして。
 
 

ということで、この前提に気付いたところで、今の私に最も必要なことは
 

「自己価値が高い人」のイメージを書き換えること
 

だと思ったので、次回、私にとっての自己価値が高い人を見直すところから始めたいと思いますチュー
 

ではまたラブラブ