サトヒです❣️
あ、なんと今日でアメブロ2年目です‼️
その後夢だったワードプレスサイトも作ることができたり、カウンセラーの弟子になったり
当時では想像もつかない毎日を過ごしているような気もします
娘も5歳になりました
これからも、ぼちぼち日々の徒然を書いていきますので、どうぞお付き合いくださいませー❣️
さて一昨日は、8月に引き続き、ゴッドすぎやまがタクトを振る、ドラクエコンサートにまたもや参戦してきました~
今年に入って、もう3回目です…って
どんだけ~~~~
(注:IKKOさんの真似でなくて、IKKOさんの真似をするまみこカウンセラーの真似です)
だって、好きすぎるんだもん、しょーがないじゃーん(開き直り)
いつもは1階席を取るのですが、今回は3階席で、全体が見れる位置にしてみたのですが、これもなかなか面白かった‼️
どこで、誰の楽器があの音を出していたのか、がよくわかるのが楽しくて
1階席で前の方だと近くて嬉しい反面、後ろの方がよく見えないので
金管や打楽器の動きがほとんど見えないんですよね~→贅沢な悩みだけども
音の臨場感で言えば、一階と三階で、天と地ほどの差があることに気付きましたが
遠いのは遠いなりに、音が1つにまとまって聞こえてよかったです(近いと、音の届く速さの差を感じるのです)
音楽は、心の貯金であり、タイムマシーンというのは、すぎやま先生の名言ですが
私にとっては、なくてはならない、心の栄養でもあるなぁと改めて感じました
初めてオーケストラの演奏を聴いて、すごいなと思ったのは、あんなにたくさんの人たちで一つのを演奏すること
それぞれのパーツが集合することで、それらが一つの音楽として成り立っているのを目と耳を通して、その場で感じられるって素晴らしい体験
私は、小学校3年生の時から高校卒業まで、吹奏楽部に所属していたのですが
特に、私は打楽器を担当していた時期が長いのですが、打楽器って、それ単品では、全く音楽にならないんですよねww
でも、他の人たちとの相互作用で、一つの作品として成立する
逆に言えば、どのパーツも、それだけでは作品として成立しない
重なり合うからこそ生まれる、ハーモニー
カウンセリング体験会の時に感じた、みんなで何かを作り上げるという作業が好きだという気持ちは
その当時から感じていた気持ちだったのかもしれないなぁ、と思いました
ちなみに、初めて行った東京シティフィルのドラクエコンサートに感動し、いつかすぎやま大先生本人の指揮が見てみたい!と思ったのが2年前
そこから、あれよあれよと情報が目に付くようになり、そこから通算5回目のコンサートでして
「現実世界は、意識を向けたものが拡大する」
って、やっぱり本当だわ~とつくづく感じますな
意識を向けることで、ご縁が繋がる感じ
引き寄せの法則を知り、願いを叶えるために必死に信じようと、長く根拠となる理屈を調べてきたけれど
結果的には、信じようと信じまいと、世界はやっぱりそういう風にできてるんだろうなと自然に感じるようになってきた、今日この頃
なので、こうなったらどうしよう、よりも、こんな風になりたいという方向をいつでも向いていた方がいい
そして、アンコール曲が、演奏会のテーマでもあったドラクエ11のサブタイトルを冠した「過ぎ去りし時を求めて」というエンディング曲だったのですが
泣いたよね…
聞きながら、曲のタイトル通り、過ぎ去りし時に思いを馳せていたら
走馬灯みたいにこれまでの色んなことが思い浮かんできて、あれ、私もう死ぬのか?みたいな感じになってw
でも、思い出されたそれらは、幸せで楽しい記憶ばかりで
「あぁ、私って、自分で思うよりもずっと愛されて生きてきたのかもしれないなぁ」
って、素直に思ったんですよね
あんなにもふさぎこみ、自分を否定し続けて、目の前にあったはずの愛を受け取ってこなかったのは、自分だったんだな、と
ずっとずっと、心の底から欲しがっていた愛は、そこにあったんだ、と
自分を閉じ込めていた、「愛されない」という思い込みの枠が、ガラガラと音を立てて崩れ去ったような
なんだか、そんな変な感覚もありました
相変わらず、死ぬのが怖い気持ちはあるけど、死ぬ瞬間に、こんな風に幸せだった出来事ばかりが思い出されて
「つくづく幸せな人生であった。わが人生に悔いなし。」
なんて風に思えるのなら、そこまで悪くないのかも、と思ったり(いや、でも、やっぱり怖いけど)
結局、死ぬことは生きることの延長で、死に様は生き様そのものなんだろうな、なんて壮大なことまで考えてみたりww
相変わらず支離滅裂な気付きの羅列ですけど
総括すると、こんな風に音楽を聴いて、色々なことを感じて、幸せな記憶を思い出せるってのは、本当にありがたき幸せであります!ということですw
ということで、またコンサート行くぞー‼️
って…
どんだけ~~~~(2回目)
ではまた