今年の桜も終わりで | 元 万年平主任のブログ

元 万年平主任のブログ

定年して嘱託社員になった社会落ちこぼれじいさんです。
どうでもいい自分の趣味を中心に勝手適当に書いていきます。



その昔、未だ若かった頃

鶴田浩二さんの「雲ながるる果てに」という古い白黒映画を、初めてNHK BSだったかで観た時、終わり間近で鶴田浩二さん演じる大瀧中尉が、面会に来た家族に会う事が出来ず「かあちゃん かあちゃん!」と泣くシーンに、「こりゃぁ~ もう駄目だ・・・」と、その切なさから胸が熱くなり、観れなくなりテレビのスイッチを切って大泣きした・・・

そんな若気の至りの思い出もある、今は只のジジィ。

我が最愛の孫がつけた私のコードネーム
「ジー」は
昆虫の「G」となぞらえていたと、最近になり知り得た情けない、今は只の老害であります( ^∀^)



4月に入り、また今年も見事に桜が咲いて、これまで寒さに構えていた気持ちも少し緩んだ先週の土曜日の夜。

今年の桜も散り始め、ピンクから緑色に変わり始めた様子を会社から帰宅途中に見ながら、ふと久しぶりに観たい映画だなと・・・



こんな古いDVDを、うつらうつらベッドで横になり観ていました。


これまでコレクションしてきた旧軍装品の中で、この写真の 階級章、空中勤務者章、航空胸章の持ち主は、実際に名古屋地区の防空任務に就き、搭乗機は「三式戦 飛燕」であった事。

後に、特別攻撃隊に編入されたが終戦となり生き残れた方の、その遺族から譲り受けた素性の知れた遺品。

生半可に、こうしたコレクションを集めてきた身には、これは重すぎます。

中田さんのレプリカとかで、軍装品を楽しむ方が、どれだけ気楽か・・・

YouTubeの動画でも、ヒストリカルゲームで旧軍装品に身を包み、最後に「バンザイ突撃」で〆る。

そんなザバゲー動画を見たりもしますが・・・

親父がフィリピンのルソンにいた兵隊で、小僧の頃から、親父が見てきた戦争の話を聞いていた身には、バンザイ突撃だと笑いながら遊んでいる彼等に、「悪いけど笑えないね~」と・・・



天一号 捷号作戦

陸海軍共同の沖縄特攻作戦

桜の咲き始めから散るまでの期間

その昔、こんなプロペラ飛行機に爆弾を積み、片道燃料で沖縄海域で散華されたたくさんの若い命もあった。

ジジィの親父も、今なら中学生くらいの歳で、ジャングルの中をマラリアや餓えに苛まれ彷徨した。

この苦しさから生きながらえた親父のおかげで、このジジィは、こんなくだらないブログなんかも書く事もできるのだが・・・

親父はジャングル彷徨中に仲間(同じ会社、同じ学校の級友)が餓えやマラリアで体力の限界をむかえ、退路で虫の息でいるところを、「頼むで、おめぇ その鉄砲で俺を楽にさせてくりょ~や~・・・」と、泣きながら頼まれた事もあったらしい・・・

しかし15だか16才の小僧だった親父には、彼を楽にしてあげる事は出来なかったそうです。

「可哀想だったけど、俺には出来ねぇっきや~・・・」と、彼を放って来たと、泣いて話してくれた事がありましたね。

未だ敗軍ではない時期でしたが、戦場で病気や怪我により動けなくなれば、他の兵隊さんの助けが必要になります。
作戦や隊の仲間の荷物となり足手まといになるから、そうなれば邪魔にならぬ様にと自らを・・・
と、そんな状況だったらしいのです。

遊びで、バンザイ突撃なんて、笑ってやってんじゃねえよ!


それでも生まれてからこれまで、平和な時代を謳歌している身の私。

その恩恵の元には、こんな辛い話もあるものなのです。