前の記事で自己分析はそれなりに大事かもよって記事を書きましたが、
ここはメモとして自分自身の自己分析。
会社に入って1年と少しでやらせてもらったことは、
1、企画&事務と2、新規営業。
企画って言っても、調査から企画書から提案して実行してその効果検証、
とかそんな大げさなことはできなかった。
あ、すこしやったことはあったけど・・・理科の実験で言うところのリトマス試験紙くらいか。
おもには、データの出し方を教わってマニュアル的にデータをだしたり、
レポートを出したり、
先輩のスケジュール調整をしたり、
企画を立てるのに必要なデータを取るためにヒアリングしたり、
印刷物の印刷会社や支社との受発注。
あとは作業的なお手伝い等々
この業務をやっていた時の上司との面談。
「何か自分で工夫したなって思ったことは? 自分だからできたって思ったことは?」
→「・・・・・・・・・・。」
「何かあるんじゃないか?」
→「いえ、ありません。」
「何か成長した、できるようになったことは?」
→「 (ここ何か言った気がするんですが覚えていない。大したことは言わ(え)なかった気がする。)」
「何か今の業務で改善したいことってある?自分だったらこうする、みたいなこと。」
→「●●の効率はもっとよくすることができると思います。このMTGはもっと効率よく回せると思います
議事録を取り、議論の結論を出し次のアクションを決めて次の会議ではその確認から入るべきだと云々」
「何か仕事をやっていて楽しいって思ったときは?」
→「・・・・・・・・・・・ありません。」
・・・・これは酷い。ひどすぎるだろ。
即戦力のかけらもないし、成長性も見込めない人材としか思えない。
2、そしてその面談後は新規営業の組織へ。初営業。
電話してアポとって訪問して受注して売上まで持っていくという一連の業務をやるのですが、
ちょっと前にここでも上司と面談をしました。
結果はほぼ同じだったので割愛。
楽しいことはなかったわけじゃなく、結構あった。と思う。
そして先日ちょっと充実感的なものを感じました。
その瞬間、「これはしっかり覚えておかなければ!」と、思った。
自分が何を嬉しい。楽しい。幸せだ。 と、感じるのか、
それってそう感じたときにしかわからないものだから、そう感じた瞬間、
しっかり記憶しておかなければいけない。
たとえば月末に飲みに行って盛り上がる。
とか
たとえばチームで協力できて達成できた。
とか
お客さんに喜ばれた、あるいは怒られた、個人的に話で盛り上がった。
とか
社内協力を強力に得られて売上につながりそうな勢いになる、とか、
色々テンションあがる瞬間ってあるのですが、
(これも前の業務ではなかなか感じられなかったのでとってもよかった)
決定的に何かを感じることはできなかった。
(もちろん環境のせいではなく感じることができない私のセンサーの出来がよろしくないことに
起因すると思われる)
そんな中で感じられた充実感というか不思議な実感として、
「最初は何もなかったものが、実現しようとしている。私のアプローチによって。」
ということでした。
私は雇用創出をしています、というか、
転職業界で転職希望者の次の就業先を開拓する営業をやっているんですが、
A社に電話をして、人を雇う話になり、人材Bさん他を紹介し、書類を通し、面接をし、検討の結果、
そのBさんに内定、そしてBさんも意思決定をしてA社に入社!となる一連の流れ、
というのは私がいなかったらこの世に起らなかったんだ、
と、大げさにいうとそんな風に思ったのです。
もちろんその関係者全員が関係したからこそ起こりえた出来事なのですが、
その最初のきっかけを作ったのはその案件を担当した新規営業マンと言って間違いないと思う。
実はまだ、実際には内定を出す、というところまでしか行っていないけど、
そういう部分には「楽しい、すごい」と感じることが出来るらしい。
「私がいなかったら」という部分に充実を感じるということは、
いや、というか以前からうすうす感じてたけど、
やはりチームプレイじゃなくて個人プレイ派なのかな、
スポーツもかじったものとしてダンス・合気道・テニス、とか、団体戦ないし。
今の仕事の毎日の勤務時間は長く、何かと競争でプレッシャーもかかってくるし、
でも、
小さい感動は結構毎日あって、
反省も毎日あって、
大きな感動もたまに感じられて、
でも、
だからと言ってすべてを打ち込めない。
とはいえ上記、ひとつ自分が実感をもって感じられる体験が一つ増えたので
今後も続けて自己分析、自分のことを知ることは続けていこうと思います。
やっぱり自己分析は自分がほんとうに感じたことをもとに考えるほか、無いように思います。
自分が感じるためのそのセンサーは心臓と脳に直結してなければ、どこかで遭難してしまう気がします。