拝殿を後にし、いよいよ本殿にお参りしました。
立派な石段が続いています。
石段を上り切ると立派な神門。
本殿にお賽銭を投げてお参りしました。
門と本殿の距離がとても近くて、思ったよりも狭いと感じました。
本殿を取り巻く回廊に宝物館が置かれていました。
置かれた券売機で200円の券を買って入場。
多くはありませんが、鶴岡八幡宮にまつわる宝物が展示されておりました。
源氏の家系図や鎌倉将軍の書状などもありましたが、とても印象深かったのは八幡宮の扁額です。
全国の八幡宮社に架けられている扁額の文字はここのものを模したものがたくさんあります。
当時の親王さまがお書きになられた書を元にしてますが、その添書きにこうありました。
本来は「八幡宮寺」と書かれ、彫られていましたが、明治の神仏分離令が出された折に寺の部分が切り取られ現在の形になった。
宇佐八幡宮もそうですが、八幡大菩薩の名前の通り、八幡宮の成り立ち自体が当初より神仏習合の「宮寺」として発祥しています。
よく先に神社があってその後に仏教が習合していったように思われがちですが、事実はそう単純ではありません。
磐座や水源などがある山自体、あるいは海岸の岩の割れ目や島などの自然地形が崇拝の対象であった時代から、崇拝の対象が集落の中や近くの山に置かれた建築物に移り変わっていったその当初より神仏共に祀られた場合の方が多かったように昨今では感じています。
八幡宮はその代表格とも言えます。
鶴岡八幡宮の宝物の中に、国の重要文化財になっている「僧形八幡大菩薩像図」が公開されていました。
鎌倉時代のものでした。
その他、江戸時代の絵巻物には、神主や禰宜と共に、社僧が列を組んで歩く姿が描かれていました。
また、境内を描いた古図には、この本殿の下の広いスペースに愛染堂や仏塔など、たくさんのお寺の建物が建てられていました。
江戸時代まではあったそうです。
鶴岡八幡宮の八幡大菩薩の本地仏は、愛染明王とされているそうですが、この愛染明王像は現在では一般の蒐集家がコレクションとして保管しておられるとお聴きしました。
なんとも時代の移り変わりを感じた次第です。
大勢の人が鯉に餌をやってました。
参拝後、鎌倉国宝館に寄ったのですが、何かをしているのか?
ちょうど閉館期間中でした……。
涙。
残念なことです。