皆さま、お変わりないですか?

厄除け薬師光蔵寺のギロウです。

今日で5日目、まだ高野山です。

それはそうと、高野山には学会という法談議の慣わしがあります。

とても厳しい修行ですが、その2年目に参加している、地元の仲良し僧侶、白川密成師が晩の7時に私の控え部屋に訪ねて来てくれました。

白川師は、糸井重里さんのほぼ日にコラムを書いておりました。

そのエッセイを集めたものが、僕は坊さんという本になって出版されました。また、それが原作になって映画化もされましたのは、まだ記憶に新しいところです。

私が同じ時に高野山に駐在布教師として上がって来てるというのを聞きつけて、わざわざ終わった後に訪ねてくれました。

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私の控え部屋で記念撮影。

写真左が白川師、右が私。

15分ほど部屋で話して、宿坊に帰って行きましたが、高野山で同じ時に上がって会えことができたのも、お大師さまあってこそのご縁だ、と嬉しく思いました。

ありがたいことです。
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皆さまお元気ですか?

私は18日に今治の自坊を出て、19日から高野山に上がっております。

現在、本山金剛峯寺にて駐在布教中です。

常時、3人の布教師が駐在してるのですが、予定されていた先生が急用にて来られなくなり、急遽他の布教師さんにお願いしたとのこと。

上がられて来たのは、大阪の鶴橋にて自坊を開いた、韓国人の高さんでした。

高さんは、波瀾万丈な経歴の持ち主で、チェジュ島出身。

いろいろな理由あって、日本に帰化。

日本人の奥様と結婚されて、現在鶴橋で自分でお寺を開かれております。

12年前に、悩める方や病院などでの傾聴活動のために、スキルを身につけて社会に貢献できる人材の育成を目的に、本山主催の、心の相談員というカリキュラムを2年間通って受けました。

その時の受講者の中に高さんもおられたわけです。

終了後は、ほとんどお会いすることもなかったので、ほぼ11年ぶりの再会でした。

たくさんの受講者の中でも、話が面白いのでよく話していた高さんと久しぶりに会って、すごく懐かしい思いでいっぱいでした。

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これは寝る部屋で、いろいろ笑い話に花を咲かせた時の様子をこっそり写させてもらいました。

これも弘法大師さまのご縁あってのこと。

たいへんありがたいことでした。

私は24日までがんばります。
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8月も終わりの日、家族が奈良で建築の講習会を受けねばならぬというので、子供を連れてついていくことにしました。

 

夏休み期間、私のせいでどこにも連れて行ってやれないので、もう休みも最後ですが思い切って奈良まで行ってまいりました。

 

 

奈良の東大寺に連れて行きましたが、下の1歳の子があまりに良い顔をしていたのでアップさせてください。

 

 

まず、大仏殿の中に入って仏さまのあまりの大きさに、下の子が「おっきい」と叫びながら、必死に手を合わせていたのに感動しました。

 

私もこのような歓喜の念で仏さまに向き合いたいと、子供から学ばせてもらいました。

 

 

上の子は小学校4年生なのですが、鹿せんべいを買った私のおしりに鹿たちが束になってせっつき、噛みついてくるのを、わたしが「痛い、痛い」と叫びながら、せんべい片手に鹿を必死に追い払う姿を見て、その後、鹿をえらい怖がっておりました。

 

反省です。

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今さらながらだが、今日、護摩行がなぜ祈願に繋がるのか?

それが、ようやくわかった。

炎を見ると人間は本能的に興奮する。生きようという本能が強くなる。だから息災にしても敬愛にしても増益、降伏にしても、本能に備わった欲を高めてその目的や困難に立ち向かって自分自身の能力で乗り越えていけということだろう。

そして、最後の一歩、自分の力だけでは叶わない、時の運や人の巡り合わせなど、その外部的要因を仏力に頼る。だから拝む前には必ず本尊がいる。

高野山専修学院の当時、門主さまに何でもいいから何か質問があるか?と言われ、

「先生、護摩行は護摩木の一本一本を自らの煩悩に見立てながら炎で焼き尽くすことで悟りに至ろうとする修行法だと思うのですが、それがどうして仏様に願いを叶えてもらう祈願になるのかわからないのですがどうしてですか?」

と手を挙げて質問したところ、先生の顔が突然忿怒相に変わり、

「お前は護摩行が信じられないのか!私にもそんなことはわからん!はい次!」

と怒鳴られ酷い目にあった。何かないかというから素直に疑問に思ってたことを質問しただけだったのだが…今日護摩の炎を觀じて思ったようなことを言って頂けたなら素直に納得しただろう。

 



護摩行は煩悩を焼き尽くす以上に、生命エネルギーを自らの行為により高め、現実に向かい合う力を養う、当に煩悩即菩提の行なのだ。

文字から学ぶだけではわからない、身体を使い、仕事をし、とする中でしか理解できないこともあるのだと、お大師様が言われてる気がした。

告知です!!
 
恒例の光蔵寺観月会 「お月見音楽祭」を、本年度は10月7日19時より開催します。
 
今年の演奏者は「仙九郎とゆかいな仲間たち」です。
 
詳しくはチラシを見て下さい。
 
参加は檀家に限らず自由です。
 
費用もかかってますので、音楽の好きな方や、興味のある方など、
少しでも多くの方に聴いて頂けると幸いです。
 
奮ってご参加ください。
 

本日は、時間がとれたので松山市堀江町にある花見山城跡を散策して来ました。

この城跡は標高14メートルの丘城です。

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丘の西側には日本ため池百選にも選ばれた堀江新池が広がり、頂上の本丸跡には祇園神社が建てられています。北側には河川が流れ、東側には二重の用水路が造られ堀切跡とも見受けられます。南側に二の丸と三の丸の曲輪跡と見受けられる平坦な処があり、現在はみかん畑になっています。

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この城は1368年に落ち延びていた九州より伊予に戻り、勢力回復を狙う河野通堯が村上蔵人大夫に命じて築かせた出城の1つだそうです。

讃岐・阿波・土佐の守護職で管領の細川氏や仁木氏の勢力を退けた後に、1379年に南朝方から北朝方に鞍替えした河野通堯は室町幕府の3代将軍足利義満より伊予國守護職に任ぜられました。

その後に、花見山城代として河野氏の後裔にあたる西通孝がこの城を与えられ、数代に渡って西(後に西山)氏がこの城を護りながら、この辺りの開発を進めたとのです。

麓に4から6代目のお墓があると書いてあったので、道のない所をだいぶ探して見つけました。

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今日は天気も良く、大勢のランナーが池の周りを走っていました。

来年も平和な1年であるように頂上のお社に手を合わせました。

ありがたいことです。
11月25日、高野山からの帰りに京都に寄りました。

今年6月に結婚したフランスの友人がパリから京都に旅行に来たとの報せを受けてのことです。

フランス人の結婚式は夜中9時から始まると聴いて、まさかと思ったのですが…本当でした。向こうの6月は9時くらいまでお昼の様な明るさなので、1日が有効に使えるので6月に結婚式を挙げる人が多いそうです。日本人が商業的に雨の多い6月に式を挙げるのとは別の理由があります。

ところで、22日から30日まで京都にいるとの報せを受けて行った京都ですが、紅葉シーズンという事もあり紅葉スポットはごった返していました。

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まず、京都駅で待ち合わせして歩いて東本願寺へ。ちょうど大谷学園の生徒さんが700名大きな御堂に入っておられて、制服姿の生徒さんらが終わって出てくるのを見て2人が喜んでました。

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友人が日本に来るたびにいつも思うのですが、興味を持つところが、日本人が思うところと違うなと良く感じます。

その後昼食をみんなでとるためにタクシーで五条坂に移動。

私が京都を案内する時には必ず連れて行く湯葉を作っているところで食事も出来る、ゆば泉さんで食事をしました。何度も日本に訪れている友人も湯葉は初めてだそうです。本当かな?

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タクシーの運転手さんも言っていましたが、観光客の半数以上が外国人の方々とのことで、清水寺に2人を連れてったのですが其処彼処に中国語が飛び交ってました。

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高野山では紅葉は終わってましたが、京都はギリギリ間に合った感じでした。

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妻が10年以上前に松山で3カ月ほど自宅に住まわせて一緒に暮らしたご縁で今も関係が続いています。

日帰りでしたが、会えて良かったよ。

ありがたいことです。

ある時、先輩のような後輩が私に言いました。

「ギロウさん、高野山で一番いい季節って何時やと思います?」

私は当然、
「そら、やっぱり春か秋やろ。桜や紅葉の季節が一番綺麗なんじゃないの?」

とありきたりな受け応え。

すると彼が、

「ギロウさん、高野山で一番良いのは冬ですよ。春や秋は観光客がドッサリやって来てごった返してるけど冬の高野山は雪が降って本当に静かなんですよ。やから、僕は檀家さんに、和っさん、今度高野山にお参りしてこうかと思うんやけどいつ頃行ったらいい?と訊かれたら必ず、行けるんやったら冬行って下さいって言うようにしてるんですよ。僕はそう思ってます。」

なるほど。おそらく彼は何年もいたのでそう思うようになったのでしょう。上がるのが、歩くのが大変な時期こそ、本当の美しさを感じることが出来るのかもしれません。

私も勤めていた会社を辞めて、修行の為高野山に上がりましたが、冬は寒いというだけではない、静けさこそ高野山の最大の魅力なんだと教えられた次第です。

今日より高野山で3日間ですが、有り難く修行させて頂きます。

ありがたいことです。
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織田信長の小姓、森蘭丸の弟であった森忠政によって慶長初期より築かれた鶴山城は思ったよりも立派なお城でした。

春の枝垂れ桜や秋の紅葉の名所としても有名で、ちょうど紅葉が美しい頃合いでした。

また、本丸跡や櫓跡からは津山盆地が見事に眺望できます。

この城を落とそうと思えば5〜10倍の兵力がいったのでは?と推測したりしながら散策しました。

下から見た山城の石垣の立派さに20歳頃に廻ったアレッポ城に雰囲気がよく似ているなと懐かしいことを思い出した次第です。

報道ではシリア内戦によりアレッポ城やクラッシュデシュバリエ城や他の世界遺産も破壊されていると知り哀しい想いです。

早く内戦が終わって欲しいと思います。

夜はライトアップもされてるみたいですよ。

ありがたいことです。
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本丸跡
本日、1年振りに地元愛媛の石鎚山に登って参りました。

濃霧と横殴りの風の中、登頂しました。

濃霧の山道でも目の前にある道を、転げようが躓こうが歩いていけば、頂上なりロープウェイ乗り場なり辿り着きます。

迷妄の想念に纏われた人生を送っているわたしですが、詠歌道を始め、道と名の付く先人が開き通った道を歩めば、何処かしらに必ず辿り着くのではなかろうかと、ふっと気付いた次第です。

ありがたいことです。
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