昨日の夕方、ゴールデンウィークということもあり、子どもをどこかに連れていかないとと、西条市河原津の潮干狩りに行ってきました。

西条市のホームページに今日の干潮時間が載っているのでやっているようだ、ということで、仕事終わってから夕方の17時半から19時半の方へ行きました。

大人1人500円に駐車場代が300円。

大人2人なので、占めて1300円。

元取らねば?

入り口のおじさん(おそらく近所の漁協の人たち)に

「アサリはいますか?」

とい聞くと、

「マテ貝おるよ〜。」

と陽気な応え。

下調べしてきたので、塩も1キロほど持ってきました。


こんな時間にもかかわらず、大勢の家族連れが来てます。

小学生の頃以来来たことなかったけど、開発?の進んだ現在では、この辺りでは昨今珍しい広さの干潟です。

みなさん、必死に掘っています。

私も子どもの手前、手ぶらで帰らせるわけにはいかないと、あっちゃこっちゃ掘ってみました。

全然、いません。

出てくるのは石ころと貝殻ばかり。

ではマテ貝と、穴を見つけては塩を入れてみるものの…全く触覚を出しません。

仕方ないのでマテ貝がいるところまでと、かなり深く掘り進めていきましたが、全く手当たりなし…。

これは、すでに掘り尽くされているのでは?

開始、40分頃から、おかしいなと思い始め…周りの家族連れや、掘ってる若者たちのバケツをシラっと覗き見。

何にも入ってない。

っいうか、すでにバケツすら放置して、鋤を片手に掘りまくっている若者たち。

そのうち、日が暮れてきて寒くなってきたので、1人、2人と戦線離脱。

私も妻と子ども2人は諦めて、先に車へ戻るとのこと。

このままでは父親の面目まるつぶれと、暮れゆく干潟の中、必死に掘って掘って掘りまくりましたが、ついに中が入ってるのかどうか?くらいの小さなアサリ2個ほど見つけ、タイムアウト。

この2時間は何だったのか?

殺生しなかったから良かった、自分を慰めるも、入場料と駐車場代合わせて1300円は返して欲しいというのが、本音です。

西条市がホームページに載せて、お金とってやってる以上は、少なからずまだ貝がいるからやっていると、みなさん思うのではないでしょうか?

みなさん、「全然おらんかった。おらんかった。」を連発しながら帰っておられました。

こんなにいないんだったら、獲り尽くした段階で、「今年は閉園」とするべきだと思います。

アサリいますか?と聞いた時にマテ貝の話ししたから、管理してる漁協の人たちもわかってると思うけど…確信犯?

おそらく、今日も行かれている家族連れがいると思うと気の毒です。合掌


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ある2月の土曜日、諸用があり新居浜市に出向いた。

用事を済ませたら、昼食を摂ってない事に気がついたので、休憩がてら通りがかりの喫茶店に入ることにした。

窓際のカウンター席に座り眼をやると古い本が数冊置かれていた。

その中の何とも場違いな一冊に眼を奪われた。

その名は、「少年日本史」。

著者は、平泉澄。

この方は、戦前の東京帝国大学文学博士で日本史の専門家であった。

私の自坊にも昭和6年に大般若経調査の為にお越しになられて逗留された方だ。

お寺には、平泉博士から送られた数通の手紙と、南北朝時代の手書きの大般若経の奥書に文中2年という南朝年号が記されていることに喜ばれ、その時の感動を詠まれた「美吉野の御門尊ぶ筆の跡 みいでて嬉し伊予の山寺」という和歌が一句、遺されている。

この和歌を、光蔵寺の第2番の御詠歌にしているのであるが、博士は戦前、大政翼賛会に名を連ね、大東亜戦争に協力したということで戦後、占領軍からその立場を迫害されるに至った。

この方の著作を見るのは実は初めてである。

戦前に書かれたものであろうと、手に取ると、なんと昭和40年代に著されたものであった。

もちろん、その場で全部読むことはできないので、はしがき、という序説を読んでみた。

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ここで内容を問うつもりはない。

これは戦後、子供たちに施される教育に対して物も言えず、ほぞを噛む思いで、この国が変わっていく様を、黙って見ていた憂国の士が書いた著作だ。

現在を見渡す限り、博士の憂いた通りの日本人になってしまった。

何が正しく、何が間違ってるかもわからない。頭の中心を占めるのは、夢という名の名誉、成功、お金だ。

現在の全てを否定するつもりはないが、博士の論じる言葉を借りれば、過去の日本において「誠実」こそ価値の最善に置かれるべきものであった。

家庭を守り、村や町を守り、国を守る責任と使命を果たす者こそが、誠実の実践者だった。

仏の説かれる教えは、「過去はすでに棄てられたものであり、未来はいまだ到達していない。ただ、今なすべきことを熱心になせ。」ということに全て凝縮している。

過去は棄てられたものだから学ばなくて良いというものではない。

仏の教えは、現在を観察することに始まり、そこから広がる12の因縁というものについて説かれている。

縦の線で言えば、現在の私を形作ったのは日本の歴史であり、未来を形作るのはその延長線上にある現在の私である。

つい今日、歴史、漢文や古典などは生きていくのに必要のないものであり、金も生まないのになぜそんなものに何年も時間を費やすのか?と言われた学者の記事を目にした。

過去を正しく知らないものには、古きものは全て価値のないものに映るだろう。

私たちは、今現在、本当に日本人を失いつつある。

それは祖先を正しく知らないからだ。

祖先が、何を守るために、いかに生きて、いかに苦悩したか、その末に自分という日本人が存在しているかを知らねば、近き未来には益々人も減る、出ていく、有利な方を求めて右往左往する、ばらけた、ただの「人間」の国になってしまうだろう。

この国に生まれたものは本来、髪の毛の一本まで日本人のはずだ。

何度も同じことを繰り返すが、日本人を未来に残そうとするならば、祖先について正しく知らねばならない。

北極星がどこにあるのかを知らねば、目の前のことをどれだけ頑張ったとしても、結果、徒労を遺すのみであろう。

批判は良くないが、間違いは正さなければいけない。

今、その時期がきたと実感している。

今日は、朝から高野山今治別院で恒例の御詠歌のお稽古をつけて頂きました。その後、少し時間がありましたので、久しぶりにお隣の南光坊さんにお詣りさせて頂きました。


まだまだ寒い時期ですが、ちょうどバスが停まって団体さんがお詣りされておりました。


最近は白装束着て廻られる方ばかりではありませんが、この風景がこれからも続いて欲しいなぁと個人的に思ったりしてます。


その後たまたまこんなものを見つけました。


良いこと書いてるなぁ。


そう言えば、本腰入れて取り組み出した最近は、御詠歌に対しての愚痴?があまり出なくなった気がする…。


ありがたいことです。


(写真 今日の南光坊大師堂とたまたま見つけた教え)


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(写真は某facebookから拝借)

 最近、配給先のKADOKAWAさんから日中合作映画「空海」のポスターとパンフレットが届きました。

本山の許可を得たので、高野山真言宗のお寺に配布してくれたみたいです。

昔、北大路欣也さんが主演して作成された伝記映画の「空海」の時は私の父親も人民服を着ていた当時の中国に同行し、その頃の若かりし北大路欣也さんと2人で写した写真を今でも大事に飾っております。

今回は、夢枕貘さんが書かれた小説「沙門空海 唐の国に鬼と宴す」という作品が原作となって、これまた有名な中国人監督のチェン・カイコー氏が映画化したという何ともエンターテイメント感たっぷりな感じに仕上がっているようです。(まだ観てないからわからない。)

たぶん魔術士のような登場?じゃないかと勝手に予測すると、仏教や密教を知って頂く、信心とは何かを知るという意味では微妙な感じもしますが、弘法大師さんや仏教の中身に触れて知って頂く門戸の1つになってもらえれば幸いです。

時代だなぁと思うのは、戦後世代は戦後教育の影響か、良い意味悪い意味、宗教臭が全くしないけれども、お年寄りだけだったお寺の写経や座禅などに突然若い女性の方が何人かでやってきたり、東京国立博物館で仏像展をすれば長蛇の列ということが多々あります。

興味がないわけではないけれど、美術品や自己啓発、はたまた縁起物のような、その受け取り方が、これまでのお遍路さんのような信心とは、またちょっと違うところに探究心を感じる今日この頃です。

仏の教えに従うと、それもまた諸行無常、「空」(くう)の内側だから、その時代の流れの中に変わらないものを見出すのが大切かなと思っています。

早速、ポスターは駐車場の掲示板に貼っておきました。

パンフレットは随時、お参りされた方々にお配りしております。

2月24日、全国一斉ロードショーです。

何にしろ、ありがたいことです。
本日、毎年恒例の節分の護摩祈願を修行させて頂きました。

これと同じく1月には毎年恒例のお米を護摩祈願させて頂いております。

始まってから早10年もの月日が経ちました。

なぜ?お米?

と思われると思います。

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今日の節分には恵方巻きを食べるというのが関西の風習だったのですが、最近ではマスコミの影響で全国的な流れになってきております。

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そこでたまたまご依頼があり、近所のスーパーでもあるママイさんのところで作られる恵方巻きの大量なお米をお寺と工場で別けてご祈願させて頂いております。

海苔は大阪の住吉大社さんでお祓いされているそうです。

大きなところに並べて頂き恐縮です。

お米を持って来られる店長さんに、恵方巻きって売れるのですか?

とお聞きしたところ、その日は巻寿司屋じゃないかと思うくらい巻寿司ばかりが売れます、と仰られておりました。

お堂にお米を何百キロ分も運んだら腰が痛くなりました。うう〜っ。

ちなみに今日の夜は予約しておいたママイさんの巻寿司を頂きました。

ありがたいことです。
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時間待ちで、人生で初めて成田山新勝寺にお詣りさせて頂きました。

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巨大なお寺だろうな、とは予測していたのですが、JR成田駅から結構距離があり門前町がかなり続くのに驚きました。

鰻を見えるところで大量に捌いているのにびっくりしましたが、お店に入るのにたくさんの行列が出来ておりました。

私は空いてる店でお蕎麦を頂戴しました。

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ちょうど御護摩の時間にあたりましたので本堂に上らせて頂き大勢の方と一緒にお詣りさせて頂きました。

皆さんおかげが欲しいのですね。バックやカバンを炎にあたらせるのにたくさん並んでおられました。

それにしても歩いた〜。

ふー。(受売り)

ある朝、子供たちがお地蔵様の前の水が氷っているのに気が付いた。

 

 

特に下の2歳になる子は、はじめて見る冷蔵庫のではない氷に大はしゃぎだ。

 

 

大人になり40歳も半ばに差し掛かってくると、大抵のことにはびっくりしなくなる。

 

「不惑」とはよく言ったものだ。

 

しかし、子供たちの嬉しそうな顔を見て、過去の自分にもこのような気持ちがあったな、と思い出した。

 

なんとも懐かしいようで、新鮮でもあった。

 

人の心を見て、自分の心を見る。

 

人のこころはひとつに繋がっているのだな、と感じた。

 

ありがたいことです。

 

 

(*_*)たまたま夕方のニュースを見ていたら、地元の親友で後輩の白川密成師が出ていました。

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昨今、始まった彼の持ちコーナー、「ひめ遍路」でした。

どんなこと言うのか?

と思いながら聴いていたところ、視聴者の方から人生相談が寄せられていました。

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妻が怖くて家に居られない…だって。

ちょっと笑える。

その相談に、彼は「私はそういった経験はないのですが…」と断った後で、けっこう難しい言葉も入れながら、丁寧にお答えしておられました。

これが、もし禅僧だったら「全て捨て去りなさい!喝!」と一喝してたかなぁ、などと誠勝手な妄想?を思い浮かべておりました。

これは、もし私もなんかあった時には、相談に乗ってもらわないかんな。

密かに、彼の活躍を楽しみにしております。

最近、小学生の息子が「今度、密成さんに会ったらサイン貰おう。」といつも言っております。

この日も一緒に見ていた息子がちょっと不服そうに、

「何でお父さんはテレビに出ないの?」

「…。」

ありがたいことです。


先日、室生寺参詣の後、松阪で一泊し、東海地区の大会が行われる目的地の賢島へ。

せっかく来たのだからと、先輩方と朝早くに出て伊勢神宮の外宮と内宮にお参りしました。

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大学の時に1度、社会人で名古屋勤務していた頃に仕事で近くまで来たのでせっかくだからと1度お参りしました。

よく考えると、16年ぶりの参詣となりました。

ご存知の通り、天皇家の租神である天照大神さまと豊受大神さまをお祀りしているお社で近年遷宮が行われたところです。

お社を拝観するにつけ、昔古墳から出土した建物の埴輪にそっくりだなぁと感心してしまいました。

江戸時代までは、食べ物と殖産の神である豊受大神を祀る外宮にお参りするのが主流だったのですが、明治以降は天皇家と共に神道が日本国をまとめる祭祀の中心に指定されましたので、内宮をお参りするようになったと、「天皇家の御葬式」という本で読んだことがあります。

また外宮と内宮の二部の形をとるのは、中古に天皇家の信仰の中に密教が入り、その影響から、曼荼羅の中胎大日如来は天照大神の本地仏で、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の一体不二の思想から、両部神道という現在の外宮と内宮の形になったと云われております。

また、ここには三種の神器のうちの1つ、宝鏡が御神体として祀られております。

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ということで、外宮と内宮それぞれでお初穂料を納めてお札を頂戴致しました。

自坊の光蔵寺にも、中心に小さな天照大神(雨宝童子)と脇に八幡大神と春日明神が並んだ小さな社があり、そこにお札を納めてお祀りしたいと思います。

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参拝の後は、内宮の門前町の赤福本店で先輩と2人で生?赤福とほうじ茶を頂戴致しました。

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ありがたいことです。

11月28~30日まで御詠歌の東海連合本部記念大会にご招待いただきましたので伊勢の賢島まで遥々行って参りました。

 

せっかく来たので、空いた時間で、道すがら奈良の室生寺へお参り。

 

ここは私の御詠歌養成講習の同期で先輩の方が、現在執事を務めておられます。

 

ここは奈良の桜井に都があった時代、大和朝倉から大和川を遡り大和朝倉を抜けて、大宇陀の山地にあります。

 

当時は風水の思想を以って地形を捉え都を形作っていたので、「四神相応の地」の中で水を司る「青龍」の地にあります。

 

お寺と共に龍穴神社がお祀りされているように、大和川の水源信仰をもとにした気の吹き出す場所、「龍穴」に室生寺は創建されたわけです。

 

中世には、奈良興福寺にある猿沢の池の竜神が、室生寺のお山に登っていくという信仰が形作られており、まさに奥之院のような存在として、雨乞いの御祈願などが行われておりました。

 

江戸時代には、高野山が女人禁制であったことから、「女人高野」として女性の参拝者で賑わった古刹でもあります。

 

室生寺の立地から鑑みると、私の自坊の光蔵寺も伊予国府の朝倉上村にあり龍門山の麓、頓田川の源流、水ノ上部落の古寺地区にあります。

 

奈良桜井と伊予国府のあった今治の地名が似ていることに気づいた私は、もしかしてと、地図を広げ照らし合わせてみました。

 

すると、伊予国府のあったこの今治にも4か所に「四神」の名を冠した山があることがわかりました。

 

そのうちの1か所である「青龍」の地にあたるのがまさしく光蔵寺の境内から真正面に見据えることができる「龍門山」です。

 

光蔵寺も、ある意味、当時の奈良室生寺のミニ版と言えます。

 

光蔵寺の隣の飯成神社で祀られていた如意輪観音像、そして光蔵寺の本尊薬師如来像などが祀られているのも、室生寺で如意輪観音像や薬師如来がお祀りされていることと似ています。

 

そんなご縁を感じながら、学生時代以来22年ぶりの参詣となりました。

 

感慨深いです。

 

それにしてもここのお堂と仏様たちは本当に古くて鄙びた味わいがあります。

 

 

国宝の五重塔は、私が以前見たものから修繕工事が行われ、朱塗り鮮やかなお姿になっておりました。

 

以前、室生寺奥之院の縁側からみた、三角錐の山と夕陽のコントラストの美しさが残像になって、今でも忘れられません。

 

古代の人々と同じ風景を見ているような気分になったのを、今でもはっきりと覚えています。

 

 

紅葉鮮やかな中、今回は執事様の案内のもと、特別拝観中で中まで入って諸尊と本尊如意輪観音様を拝ませて頂きました。

 

執事様にはいろいろお接待頂戴致しましたこと、御礼申し上げます。

 

ありがたいことです。