(尾根沿いの岩に井桁紋と漢数字が所々に見受けられる)



石仏があった頂上から先に進みました。



尾根は起伏があり、岩場が続いています。



気になったのは、向かいの種子川方面の山の斜面に一部木のないところがあり、こんなところに?という場所に建物が見えます。


何でしょうか?



このような岩場の尾根が続きます。



振り返るとこんな感じ。


再び、小ピーク。



ふと、足下を見やるとこんな文字が彫り込まれた石があるのに気づきました。



「八二 井桁紋」



なんだろう?


井桁紋だから旧・住友財閥の何かかな?


たぶん写真を撮った都合上、順番と前後がバラバラになっています。


たぶん、もっと先にあったかもしれません、すみません。



また登りですが、いつもなら鬱蒼としている山ばかりなのですが、ここは本当に木が刈り込まれており、大変歩きやすいです。



登ると行く先が続いているのがよく見えました。


再び岩に文字と赤ペンキ。


「八◯」?



石鎚連峰。



振り返ると新居浜市が見えました。



進むと、今度は「八一」。


ここからさらに急峻は崖を降り、しばらく行ってみました。


新たな鉄塔のところまで行って戻ることにしました。


おそらく「八六」?


までいったかな?



先がまだまだ続いていたので、引き戻しだのですが……。


ずっときた道を下っていると、1人の初老の男性が登って来られるのと鉢合わせました。


「あんた!今日も登ってきたんかい?」


と言われ、


「⁈初めてですが」


「え?あんた昨日子ども2人連れて登っておられた方じゃないんかいの?」


「いえ、違います」


「そうかい?ところで、あんた、どこまで行ったの?鉄塔まで行ったんか?」


「鉄塔?3つありましたね」


「ほんじゃあ、八二まで行ったんじゃな!どうじゃ?登りやすいじゃろ?これはわしが1日2回登っての、間伐しよるんじゃわいの」


「え?そうなんですか?1日2回も⁈すごいですね。おかげで登りやすいと思いました!ところであの岩に彫られた数字はなんなんですか?」


「あんた!そりゃあれよ。この道は昔の本道じゃけんの!住友の人夫がこの道を通って、別子銅山から掘り出した鉱石を下まで運び出しよったんじゃからな!道に迷わんように住友が、道標を彫っとるんじゃ」


それを聴いて、まさに目からウロコでした!


なるほど!


この道が、道といっても急峻で過酷な岩肌の獣道みたいな尾根筋ですが、これがいわゆる住友の別子銅山から鉱石を運び出すための本道だったとは⁈


知りませんでした!


初老のおじさんは、住友にでも勤めておられたのでしょうか?


いろいろ教えてもらったので、御礼を言って下山しました。


ようやく住友・別子銅山記念館の駐車場まで降りて、


やれやれ〜ようやく座れる


と、車のキーを探すと


ない!?


もしかして2本目の鉄塔のところで、座って休んだ時に落としたのでは⁈


ここから悲劇の2回目、生子山城跡への登山が始まりました。


麓城跡、生子山城跡と2回登山して身体はクタクタだったのですが……キーを探して再び生子山城跡へリターンするハメに。


トホホ。


再び登って行きますと、先ほどのおじさんが、木の枝を打っておられました。


本当にやってるんやな。


尾根まで登り、2本目の鉄塔になんとかたどり着いた私。


その辺を探すと……。


ありました!


良かった!でもヘトヘト。


正直、今日の目的は全て果たした、と安心したところで、もう一度同じ山に引き返すというのは、ため息しかありませんでしたが、何とか気力と体力を振り絞り、ことなきを得ました。


見つかっただけありがたいと思わなければなりませんね。


本当にありがたいことです。


感謝。



そして、この日3度目の下山を果たし、無事に落とした車のキーが見つかったことに感謝し、改めて大山積神社・奥の宮をお参りして帰りました。


本当に疲れました。


ふー。