(山頂には三体の石仏が祀られている)
鉄塔の横を抜けると、頂上が見えています。
削っているのは、この鉄塔を建てた際の工事の跡なのか?
それとも、山城時代の切岸の跡なのか?
正直なところ、見ただけではわかりません。
さらに、反対側。
ここを登る前に登った種子川の流れる麓城跡のある山が見えます。
新居浜市や西条市の山の特徴として、横に壁のように這う石鎚連峰から垂直に突き出した谷と尾根筋が派が生え揃うように並んでいることが挙げられます。
松山市や今治市は高縄山系の山々に取り囲まれるようになっているのが特徴です。
先に進み後を振り返ると、このような感じ。
実は、後で起こる大事件の種が、この鉄塔の下で蒔かれました……。
ここを登ると頂上のようです。
斜面が急なので、どなたかが、ロープを垂らしてくれています。
登り切るとこんな感じ。
生子山城の説明がある案内板のところより、ここの方がはるかに広く平らです。
ここが本丸曲輪跡だと思います。
おや、向こうの方に何かたってるぞ⁈
まわり込むと、三体の石仏が並べられておりました。
いつもの如く、山頂にて手を合わせてお勤め。
ここで戦国末期に自害したという松木三河守と兵士たち、南北朝時代の河野の一族・一条氏、そして藤原純友など、城に立て籠った御霊に対して、般若心経や光明真言などの読経をたむけました。
南無大師遍照金剛。
読経が終わり、しばらく汗を拭って涼みました。
先を見ると、急峻な崖に
こっちだよ〜!
と
矢印→
が赤いペンキで所々に記されているではありませんか!?
降りながらズンズン進んでいく私。
再び少し平らなところに辿り着きました。
まだまだ標が続いているので、先に進んでみることにしました。
続く→。