(剣山城跡 手前の下城から中央の上城、そして湯浪の集落へと続いている)


愛媛県西条市小松町にある剣山城跡は、愛媛県にある山城跡の中でも大きな縄張りを持つ山城です。

黒川氏三代の居城だった訳ですが、黒川氏は元々は周敷郡千足村黒川というところの氏族でした。

ここよりさらに奥の「湯浪(ゆなみ)」と呼ばれる地区、若しくはその近辺の「黒川」と呼ばれる山深い集落の出自であったと思われます。

私は詳しくどの辺だとは分かりません。

おそらくは地元の人には

「あそこがそうだ」

と知っている人がおられると思います。

とある古文書にはこうあります。

そこに土佐からやって来た長宗我部元春という人が黒川の地で黒川通矩と知り合い、この周辺を武力を以て切り取ろうと、意気投合しました。

元々、土佐国の実兄とは不仲であった元春は通矩と義兄弟の盃を交わし、その舎弟となります。

そして、先ずは手始めに黒川の地からほど近い中森城(中森砦)を攻め落としました。

そして黒川元春と名乗ったことにより、戦闘的な黒川氏が誕生したことになっています。

この黒川元春は、土佐の長宗我部元親の父親の元国(国親か?)の弟、元親の叔父だったと記されています。

剣山の名は、「その昔、狼が名剣を咥えて来た」ことに依ると言いますが、これはまるで元春のことを言い表しているようにも思えます。

実は、剣山城跡への登城については、下城に先駆けて上城跡の方へと登ってしまいました。

何故か?

登山口が分からなかったからです。

そこでGoogle mapを使い、航空写真をジッと眺めてみたところ、山の南西部に道がありそうな地形を見つけました。

行ってみると、上の写真のような林道が走っていました。

一応、コンクリート舗装がなされています。


ひたすら林道を歩いて登って行きました。

途中、幾つかの小さな分岐がありますが、本道から逸れずに行きます。

すると、上の写真のような分岐があります。

右側の舗装している方は私有地のようなので入らないようにします。

コンクリート舗装が途切れた方へ左折しました。

航空写真で確認するとこの辺です。


左折し、この道を行きます。


分岐地点には、山の中に向かって延びる溝があります。

一見、山道のようにも見えますが、尾根の堀切を延長した竪堀跡が山道になったもののようにも見受けられました、


舗装されてはいませんが、このように立派な林道があります。


ひたすら登って行きます。



尾根には続いているのでしょうか?


とりあえずは、ひたすら頂上付近を目指して歩いて行きました。


森林組合が杉林を管理しているようです。


こないだ、チコちゃんが森と林の違いについて怒っていました。


「森」というのは「自然に生えたもの」


「林」というのは「人工的に植林されたもの」


のことを言うそうです。


私はてっきり山に生えるのが森で、平野に生えるのが林だとばかり思っていました。


そんなことも知らず、その辺の山に登っていたら、


「ボーッと生きてんじゃねーよ!」


とチコちゃんに怒られそうです。


ボーッとしている訳では無いのですが、どうやったら林道から尾根に行けるのか?


それで少し右往左往しました。


続きます→