急峻な斜面をよじ登って平坦なところに出ました。
ここが第1の曲輪跡です。
ここから堀切などを挟みながら曲輪跡が6つあります。
実際に登るとその遺構の凄さに驚きますが、写真では同じようなものが続きますので、手描きの全貌図を先に掲載させて頂きます。
いつもながら絵の才能が乏しくすみません。
絵心がイマイチなもので、1と2の曲輪跡がえらく小さく描かれていますが、実際にはもっと広い空間が広がっております。
1の曲輪だけは少し小さめで、このようにすぐに崖があります。
踏み跡を登りますと、2の曲輪跡に出ます。
2の曲輪と3の曲輪跡は切岸のみで繋がっていて2段構えの「段曲輪」になっています。
このようにハッキリとした浅い切岸です。
そこを上がると、1段目と同じくらいの広さの平坦な空間が広がっています。
ここが3の曲輪跡です。
この2段目には、小さな祠があります。
石組みが少し残っています。
今はその上に小さな瓦の祠が置かれてありますが、昔はもう少し大きなものがお祀りされていたのでしょうか?
ただ基礎石ぽくはないです。
石の並びと形状がこの山の裾野の方の尾根にあり、唯一地上に出ている片山古墳群1号墳の石櫃のものによく似ていることから、もしかしたら古墳?かもしれません。
ここで慰霊の念を込めて般若心経と光明真言などをお勤めしました。
その先にはハッキリとわかる真っ直ぐな切岸です。
立派な堀切が見えました。
これまで見た堀切は縦に走る尾根をわざと横に切って溝を掘った遺構がほとんどでしたが、ここは地形の高低差を活かしながら曲輪と曲輪自体の間を平均しても人間の背丈以上のかなりの深さで掘り下げた堀切跡です。
このように窪みがついています。
下に降りて次の曲輪を見上げるとこんな感じです。
降りて横から見た1つ目の堀切跡です。
左側が4の曲輪跡で右側の方が3の曲輪跡です。
続く→。