早くも1か月前の6月9日の午後から、私の自坊のある光蔵寺からほど近い西条市の実報寺〜吉岡上〜広岡辺りの山城跡を巡ってきました。
先ずは、旧越智郡朝倉村と旧桑村郡の境にある周越トンネルを超えて下りた直ぐのところにある西条市実報寺の天ヶ城跡から。
朝倉から周越トンネルを超えて下りたところの点滅信号を右折したところ、真言宗御室派実報寺の目の前にあるこの丘がそれです。
前からこの小さな山を見て古墳かな?とは思ってましたが城跡でした。
山城と言っても大小様々で、このようなところは山城というよりも出城もしくは居館跡のような感じでしょう。
この近くにある「大聖寺城址」というところは、さらに単なる平地で現在は山ですらないので、砦館跡と見た方が良いかもしれません。
車を停めた目の前には真言宗御室派実報寺があります。
端の方に車を停めて、お寺と反対側に歩いて行くとこの看板があります。
この城の歴史はこうです。
天ヶ城(別称・おなか山)
別名、「兵庫山城」ともいうと聞いたことがあります。
南北朝時代の興国3年新田義貞の弟、脇屋義助公が伊予府中の国分寺に入った折、家臣の芥川義氏がこの山に拠点を築いたのがその始まりです。
戦国末期の天正7年には長曾我部元親と盟を結んだ新居浜の金子元宅が、河野18将の1人でやはりこの近くにある象ヶ森城の城主であった櫛部氏を攻めた際にこの城も落城した、という歴史があります。
この看板の直ぐ後ろ、現在の部落墓地の間の道から山に入って行きます。
草が鬱蒼と生えてる…。
案の定、蚊が🦟群がる…。
こんな小さな山でも入ると湿っぽい山の匂いがします。
このように落葉に埋もれかけた道を辿ってジグザグに上がっていきます。
所々に簡単な石段が葺かれております。
10分ほどでしょうか?
上がると直ぐに尾根の平坦なところに出ます。
右を向くと主郭があったと思われるところに一基の墓石が建っていました。
人の背丈を超す立派な供養塔です。
続く→。