とある空いた快晴の日に霊仙山に探査に出た。


以前から山に登る時には誘ってくれと言っていた


友人に「一緒に行くか?」ときくと、


珍しく「行きます。」と返事が返ってきた。


午後からの出発だったので、近くの山を登ることにした。


いつも朝倉の大農道(県道)を走っていると気になる山があった。


今治に向かって走り、ふるさと運動公園の辺りにさしかかって、


右側を見ると、朝倉の金毘羅さんの後ろの山の頂が平になっている処がある。



雲水ギロウのひとくちエッセイ


昔からその平らさに「何かあったんじゃないか?」と気になっていたので、


今回白羽の矢が立ったのである。



雲水ギロウのひとくちエッセイ


どこから登るのか?


確か「宮ヶ崎」の方から登ると聞いたことがある。


とのことで、宮ヶ崎の円久寺さんの方へまわってみることにした。


霊仙山は昔の朝倉の古城の一つで宮ヶ崎に河野家の家臣団の一人の


城主中川氏が住んでいたが、天正十三年の豊臣秀吉の四国征伐にて


降伏したと伝わる歴史がある。


この辺は光蔵寺の歴史ともおなじである。


円久寺はその中川氏の菩提寺と云われ、現在もそのお位牌が祀られている。


この宮ヶ崎には世良姓を名乗る人が多く、世良亭をはじめ結構立派な構えの


お家が多く見られる。


地域の部落の方々が建てた案内板が立っていた。



雲水ギロウのひとくちエッセイ


その名も「宮ヶ崎十八寺社参拝コース」。


すごい。


何がすごいってこの部落で18もあるのがすごい。


また、散策コースを作っているのが地元の方たちの努力に感心した。


この辺の散策もかねて先に進むことにした。