雲水ギロウのひとくちエッセイ-futari


わたしは縁あって、本年2月より松山市の認知症デイサービス「ビハーラ」というところで僧侶として作務衣を着て勤務をさせて頂いている。



ここは医師・藤原先生の方針で「医療に仏心を」というスローガンの下、経営をされている施設である。



高齢者の施設に僧侶が常勤するという施設は、おそらく全国でも珍しいだろう。



私の前任であった僧侶のY師が横浜の寺院に請われ関東へ旅立つ事になり、Y師と懇意にしていたこともあり、わたしが後任という形で施設に努めることになった。



主な役割としては、利用者さんとのコミュニケーションいわゆる「傾聴」活動であるが、実際には利用者さんの「送迎」「食事介助」「入浴介助」「レクリエーション」などを行うこともも多い。



はやくも半年が過ぎようとしている。


はじめは慣れないことも多かったが、最近ではだいぶ馴染んできた。



お寺の壇務(葬儀や法事など)のない日に、デイの方に今治から松山まで通っているので、休日は一ヶ月で2~3日あればいい方だ。



しかし、この活動の中からわたしが得ているものは極めて大きいと感じている。



お釈迦さまは、人間が生きていく中で避けることができないものとして「」「」「」「」という4つの「」を説かれたわけであるが、現在わたしは日常の中においてその「生」「老」「病」「死」すべてを肌で感じとることができる。



「生」は私自身に備わっている「苦」のひとつであり、「葬儀」「法事」を通じて人の「死」をみつめ、このデイという施設を経て「病」「老」を現実のものとしてお世話をさせて頂いているからだ。



毎日がこのような状態なのではじめは気分がふさがることもあったが、現在ではこのような機会を与えて頂いたことを非常にありがたく感じている。



はたして、理想ではなく現実として「仏教」と「医療」「福祉」というものが本当に融合できるのか、その可能性をこれから述べていきたいと思う。


参考:http://www.vihara.or.jp/