時間は戻って、9月のシルバーウィーク。
まだまだ残暑が厳しく、空の高さも青さも、鮮やかな緑もまだ真夏の面影を残していた頃。
この日は帰省先の大阪で、ずっと行ってみたかった美術館へ。
今回は、大阪府池田市にある逸翁(いつおう)美術館について、ご紹介させてください…*
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阪急電鉄、阪急百貨店、東宝、宝塚歌劇団…
誰もが知るこれらの企業・団体を創設したのが、明治~昭和期の実業家/政治家/文化人の小林一三(1873~1957年)である。
歌劇、茶道をはじめ、日本・東洋古美術、中近世の絵画など幅広い文化事業に熱意を注ぎ続けた彼の雅号「逸翁」を冠したこの美術館は、彼の亡くなった1957年、旧邸「雅俗山荘」(国登録有形文化財)に開館。
2009年10月には、生前彼が「一都市一美術館」という理念のもと建設を計画していた地に新館(上図)を開館、翌年には彼の事業・功績を紹介する「小林一三記念館」が、美術館のあった雅俗山荘を中心として開館した。
所蔵品は、重要文化財や重要美術品を含む美術品、書画約1600点、陶磁器は約2500点、その他が約1300点にのぼる。
この逸翁美術館、小林一三記念館、池田文庫(小林一三が設立した1949年開館の図書館・文化施設)の3館は全て徒歩で巡れる距離にあるので、まずは逸翁美術館から。
新しくて現代的な建物だが、内装は上品な和の雰囲気が漂っている。
※館内、展示室以外撮影可。
小林一三記念館内にあるものを再現した茶室も。
(もちろん、一服できます^^)
ちょうどお昼時だったので、併設の喫茶室でさくっとランチを*
お腹がいっぱいになったら、いざ展示室へ。
この時期の展示は「小林一三ワールド —逸翁の審美眼」(会期終了)。
小林一三(以下、逸翁)が生涯をかけて収集した美術品を、「見立て」「好み」「自作」という3つの視点から見つめ、彼の素顔を探るという展示。
茶人でもあった逸翁は、その心や作法を堅実に守りつつも、西洋の焼き物を茶道具に見立てて茶会に取り入れてみたり、椅子席の茶室を考案(それが既出の茶室でも再現されている)するなど、新たな挑戦もしていったそう。
展示作品は書画、陶磁器(日本はもちろん、中国唐時代~清時代、朝鮮王朝時代、そしてエミール・ガレなどの西洋までなんとも多彩なラインナップ)、インド更紗、茶器などなど、各国、各時代の作品が集まる。
まさにタイトルの「審美眼」どおり、逸翁の好み、心情、基準で集められた名品を楽しめるものとなっていた。
さらには、終盤には逸翁自作の皿や書まで並ぶということで、なんとも私設美術館らしい魅力が満載。
円山応挙や長沢蘆雪、与謝蕪村、谷文晁などが並ぶなかでも、印象に残ったのは…
●五彩蓮華文呼継茶碗 逸翁銘「家光公」元時代、逸翁美術館蔵
割れた器を継いで出来上がった、中国・元時代の焼き物。
…が、これは割れたことがわからないほどに美しく元通りにしたり、金で継いで魅せる「金継」ではなく、異なる茶碗の破片どうしを漆で継いだ「呼継」の作品。
茶器のことはまだまだ知識もなくわからない私なのだけれど、全く違う茶碗を継いでも違和感がなく、むしろ味になっているその様子に、なんとも感激してしまった。
さらに、この「家光公」という銘。
政権を上手く引き「継いだ」家光公の姿と重ねてつけたのだそう。
この逸翁のセンス、なかなかお茶目で面白いですね^^
●本阿弥光悦「黒茶碗」桃山時代、逸翁美術館蔵
その書を目にする機会のほうが最近多かったけれど、陶芸家としての本阿弥光悦作品に少し久しぶりに出会えた。
とはいっても、先ほども記載したように焼き物はまだまだ勉強不足で、観た瞬間のインスピレーションでしか鑑賞できないのだけれど、ひとまず、下のほうが黒く、上のほうがベージュがかったその茶碗を、両手でそっと持つときのことを想像してみた。
どしりと安定感のある形に、ごつごつしていそうな質感、無骨なようで品のある趣。
うーん、むずかしなぁと思いながらも、見つめているとなんとなく安心するような、そんな器だった。
展示を見終え、美術館をあとにして落ち着いた住宅街を歩くこと5,6分で、小林一三記念館に到着。
この「雅俗山荘」が小林一三の旧邸宅。
今ではフレンチレストランになっており、そのクラシカルで気品ある内装が、今でも人々を出迎えている。
私たちが訪れた日にはすでに予約で満席で食事することはできなかったけれど、次回はぜひ訪れたいなぁ…*
下図の建物奥が、展示室。
小林一三の事業の数々を追うことができる。
また、手前には映像を観られる部屋もあり、鉄道事業や、宝塚歌劇・東宝創設の話などがわかりやすくまとめられた映像が、数種類順番で上映されている。
そんな小林一三の事績は、この時の展示の記憶や、阪急文化財団のページやwikipediaなども参照したのだけれど、なんとも多岐に渡りすぎて、このブログ上で到底簡単にまとめられるものではなく…^^;
他の来館者が、「一人の人間が、一生のうちにこんなに沢山のことをできるものなの…?」と話していたのが聞こえたけれど、本当にそう訝しんでしまうほどに、その功績はものすごい。とにかくものすごい…!
(ご興味のある方はぜひサイトをご覧になるか、この小林一三記念館に足を運ばれてみてください~^^*)
美術館めぐり的な視点でみれば、小林一三のwikipediaには「根津美術館」の根津嘉一郎氏、「五島美術館」の五島慶太氏も出てくるのでわくわく。
(すっかり五島氏のイメージだった東急電鉄も、その始祖・田園都市株式会社の実質的経営者は小林一三だったそう。
割れた器を継いで出来上がった、中国・元時代の焼き物。
…が、これは割れたことがわからないほどに美しく元通りにしたり、金で継いで魅せる「金継」ではなく、異なる茶碗の破片どうしを漆で継いだ「呼継」の作品。
茶器のことはまだまだ知識もなくわからない私なのだけれど、全く違う茶碗を継いでも違和感がなく、むしろ味になっているその様子に、なんとも感激してしまった。
さらに、この「家光公」という銘。
政権を上手く引き「継いだ」家光公の姿と重ねてつけたのだそう。
この逸翁のセンス、なかなかお茶目で面白いですね^^
●本阿弥光悦「黒茶碗」桃山時代、逸翁美術館蔵
その書を目にする機会のほうが最近多かったけれど、陶芸家としての本阿弥光悦作品に少し久しぶりに出会えた。
とはいっても、先ほども記載したように焼き物はまだまだ勉強不足で、観た瞬間のインスピレーションでしか鑑賞できないのだけれど、ひとまず、下のほうが黒く、上のほうがベージュがかったその茶碗を、両手でそっと持つときのことを想像してみた。
どしりと安定感のある形に、ごつごつしていそうな質感、無骨なようで品のある趣。
うーん、むずかしなぁと思いながらも、見つめているとなんとなく安心するような、そんな器だった。
その他気になったのは、作品ではないけれど、和室で和服を着て茶器を見つめる逸翁の写真。
その白黒写真の端っこには、和食器にうず高く積まれたパンケーキが。
この時代にしてはかなり最先端というかモダンなおやつだったと思われ、新しいもの好きなのがわかる。
けれどそのパンケーキが固そうで冷めていそうでなんとも美味しくなさそうで…笑
それも含め、なんとも微笑ましい資料。
展示を見終え、美術館をあとにして落ち着いた住宅街を歩くこと5,6分で、小林一三記念館に到着。
この「雅俗山荘」が小林一三の旧邸宅。
今ではフレンチレストランになっており、そのクラシカルで気品ある内装が、今でも人々を出迎えている。
私たちが訪れた日にはすでに予約で満席で食事することはできなかったけれど、次回はぜひ訪れたいなぁ…*
下図の建物奥が、展示室。
小林一三の事業の数々を追うことができる。
また、手前には映像を観られる部屋もあり、鉄道事業や、宝塚歌劇・東宝創設の話などがわかりやすくまとめられた映像が、数種類順番で上映されている。
(これもかなり見応えがあるので、必見です)
そんな小林一三の事績は、この時の展示の記憶や、阪急文化財団のページやwikipediaなども参照したのだけれど、なんとも多岐に渡りすぎて、このブログ上で到底簡単にまとめられるものではなく…^^;
他の来館者が、「一人の人間が、一生のうちにこんなに沢山のことをできるものなの…?」と話していたのが聞こえたけれど、本当にそう訝しんでしまうほどに、その功績はものすごい。とにかくものすごい…!
(ご興味のある方はぜひサイトをご覧になるか、この小林一三記念館に足を運ばれてみてください~^^*)
美術館めぐり的な視点でみれば、小林一三のwikipediaには「根津美術館」の根津嘉一郎氏、「五島美術館」の五島慶太氏も出てくるのでわくわく。
(すっかり五島氏のイメージだった東急電鉄も、その始祖・田園都市株式会社の実質的経営者は小林一三だったそう。
改めて、その手広さと今に至る影響力の強さに慄く)
展示を見終えたら、展示室の奥の扉から庭へ。
庭の奥に出てくるのが、雅俗山荘。
和と洋が入り混じった雰囲気が素敵*
庭は純和風と言った雰囲気。
逸翁美術館内に再現されていた茶室がここに。
展示を見終えたら、展示室の奥の扉から庭へ。
庭の奥に出てくるのが、雅俗山荘。
和と洋が入り混じった雰囲気が素敵*
庭は純和風と言った雰囲気。
逸翁美術館内に再現されていた茶室がここに。
東宝の映画たちをたどる展示は、私以上に一緒に来ていた両親のほうが、懐かしさからかじっくり見入っていた。
茶道を嗜む方も、書道や美術が好きな方も、そして歴史や鉄道、映画、宝塚歌劇が好きな方も(小林一三は野球にも力を入れていたので、野球が好きな方も!)楽しめること請け合いの場所。
ご興味のある方は、ぜひ足を運ばれてみてください…*