昨日、カテキョ先の子が泣いた。

別に弱い者いじめをしたわけではなくて。

したわけではないと思いたかっただけだけかも、なんだけど。

「大丈夫、がんばってるからできるよ」

って言ったら泣き出しちゃった。

私がんばっているかなぁって。

ああ、ヒリヒリしていて懐かしくてつらくて自分もそうだったなぁと無駄に感傷的になった。


受験はつらい。

浪人はつらい。


特に女子で、医学部の浪人はやっぱりつらいと思う。

偏差値が70超えてたから受かるとそういうわけではない。正直に言って、普通の理系の学部と医学部で同じ偏差値のところでも医学部のほうが何倍も受かりにくいと思う。だって倍率が違いすぎる。

医学部どうたらはさておくとして。


浪人は本当につらいと思う。

これはどんなに言っても浪人したことのある人にしかわからないし、わかりあえないし別にそれでいい。

むしろわかってほしくなんかない。

浪人した人が偉いとかそういうことが言いたいわけではなく、そういうはずもないし、ただつらいよねって言いたいだけなんだけれど。

”浪人”ってだけでまず、劣等感。

行きたいところを目指すっていいと思う、とかって綺麗ごとを色んな人は言ってくれるしはげましてくれるのはありがたいの。でも、そういう行きたいところに現役でキチンと行く人たちはいるわけで。自分はそうなれなかったという劣等感。もちろんそのための努力を怠ったのは自分だし、そんなことは百も承知なんだけれども、だからこそつらい。責める相手が自分しかいないから。自分の殻にどんどん閉じこもりたくなる。

でも自分の殻に閉じこもりたくなる私を置いて世間はどんどん動いているんだよね。

友達は大学生になって、新しい世界を知っていって。

姉妹は学年が上がり、親戚は結婚。

首相は変わって、どこかで戦争は始まる。

そんな中で自分だけ立ち止まっている気がしてくる。

勉強している内容は去年と変わらず、高校の範囲。何か誇れるようなことは一つもない。最近何してる?と聞かれれば、勉強以外に答えなどない、いや勉強以外の答えをしちゃいけないのかもしれない恐怖。

正直、大学生になったからって本当に前に進んでいるのかもわからないし、むしろ後退すらしていることすらある。

自分がどんな身分だろうと、むしろ生きていようと死んでいようと世界は自分と関係なく動いていく。

けれど、そんな当たり前のことがとっても気になるんだよね。

おいてきぼりにされちゃった感じ。

なんて言えばいいんだろ。

ただ、それだけなんだけれど、私はこうやって一生誰からも遅れて生きていくのかもしれないとか、そういう風にも考えてもうどうしようもなく哀しくなる。

がんばれって言われると私ががんばっていないというのかとか思ったりして、そういう風に思っちゃう自分もとてつもなく嫌だし。

一番どうしようもなく泣きたかったのは「お前、早く大学生になれよ」って台詞だった。確実に私を鼓舞するために言ってくれた言葉だったんだけど、本当に嫌だった。誰よりも大学生になりたかったのは私だし、そんなこと言うならならせてくれよって思った。何でこんなこと言われなきゃいけないんだろう、いい加減な大学にいい加減に進学すればよかった、それならとりあえず今は楽だった、そんな風に思った。

浪人できるだけで恵まれている、そんな風に言われたこともあって。そう、だからつらくてもこの状況に感謝しなきゃいけないんだっていう強迫観念もあった。私の場合、医学部じゃなければ学費出さないとかまで言われて浪人したのになんで感謝しなくちゃいけないの?っていう風につらかった。でも純粋に今、つらい状況でそのつらい状況を感謝しなくちゃいけない自分は恵まれているって思わなくちゃいけないっていうのが、また、つらかった。

懐かしいなぁ。

何が書きたいかわからないけれど、そういう浪人時代のヒリヒリした感じを思い出してあのヒリヒリを私はいつの間にか忘れていたし、このまま忘れていってしまうのかなと思ったら書きたくなった。

あの時は常にいつでも泣けたし怒れたな。

大学生が一言でも授業タルいとか、テストが嫌だっていうだけでもうイライラした。そのタルさとか嫌さすら享受できない自分が悔しかったし、その愚痴は持てる者の優越だと思った。

今となっては、むちゃくちゃ愚痴言ってますがね。

あぁ、木曜の試験どうしよう。絶望しか感じない。なんか笑っちゃうくらい覚えることあるんだけど。上肢?もう知らない。やばくて吐きそう。おえ。


私は今、前を向いて歩いているかしら。

あの頃は浪人さえ終われば前に進むと思っていた。

けれど、実際そうでもなくて道はとても蛇行していたりする。

振り返ってみると浪人時代のほうがとっても前に進んでいた部分もあったように思う。

私はやっぱり浪人してよかったと思う。

浪人しないで、何かの間違いで受かってしまっていたり、それこそどこかしらの当時の私でも入れる大学に通っていたとしたらそれはそれで楽しかったでしょう。

でも、たぶんそしたら今の私がとっても嫌いな自分が出来上がっていたに違いない。

もっともっとクズで人生ナメきっていたと思うし、なあなあで生きていた気がする。

前に進むとか進まないとかそういうこともたぶん考えてなかった。

楽な人生かもしれないけれど、それは私の嫌いな人生だと思う。

だから、浪人して良かった。

ヒリヒリしてたあの頃があったから、今があって、私はあの頃のヒリヒリした自分が憎くて愛おしい。

ふむ。

こうやって未来の自分が今の自分を愛おしめるように生きたいものですな。がんばろう。


浪人生よ!

幸あれ!!

そのつらさが人生の糧だから大丈夫だから。

現役で受かった奴らが羨ましいかもしれない。

けれど奴らはそのつらさは一生享受できないのだよ。

奴らに享受できなくて悔しいと思わせるくらい、存分につらければいいと思う。

つらくてヒリヒリして、無駄に泣いて、でもその時こそ本当に前に進んでいるはずだから。

他の誰が何を言おうと、浪人が終わったその時につらければつらいほど得られたものを感じられるから。

「辛い」と「幸せ」って漢字が似てるよね、とかじゃなく、浪人生の幸せは辛さにある。

浪人生よ!

辛くあれ!!


浪人してよかった、最後にそう思える浪人時代を過ごせたらいいんだと思う。


・・・浪人生だけじゃなく人生の幸せももしかしたら辛さなのかもしれない、と思ったら少し嫌になるけれど、それはそれで仕方ない。

のかな?