夏に書いたこの記事。




たくさん読んでいただき、
お友だちからも感想をいただいたり、
反響がありました!




読んでくださって
ありがとうございます♡

 











このときは
「肩の荷を下ろせたー!!!」
と思ったけれど





背負った荷物を
すとん、と
リュックを下ろすようには
すっかり下ろせていなくって、










まだまだ

ザワザワ〜〜 
ドキドキ〜〜

してる日もあります。




 





それでも
そのことに自覚的で居られるぶん、


あ。と気づいたときに
荷をほどきやすくなってきたなあ、


とも思います。





















先の記事↑と
根っこはおなじことかもしれない、




最近まだまだ思うことについて。










ひとつ前の記事↓にも書いたけれど






それは
たとえば、




「育休中なのにしんどい」




「こんなに両親に
手伝ってもらってるのにしんどい」




「子ども3人なのにしんどい」





とか、そういうこと。





 







いつもいつも
そう思ってるわけじゃないけど


疲れが溜まってきたり、
じぶんのなかが滞っていたり、
(それはつまり何かを我慢しているとき)


そんなときに、ふと、
こう思うことが多いです。














書いてみると
ほんと滑稽なぐらい明白なのが、

    



そう思ってるときの
わたしの思考はみごとに、


“いま ここ” に居ないこと。

















それから、


 

思考がすごく不自由で、
心も窮屈になってしまっていること。



そういうときは、必ず、
誰かの常識や固定観念にとらわれていて、


いまの自分と、
自分がなりようもないはずの架空の誰かを、
比べてしまっている。










こないだの記事の、

ベレー帽は絵描き。

みたいなことです。←たとえが雑 笑












結婚したら幸せ。

育休だったらゆとりがある。


みたいな固定観念、
まだまだあるネバベキ思考も要らない。











仲が超絶悪くても夫婦であっていいし、


セックスレスでもしあわせであっていいし、 


子どもがたくさん居てもまだ欲していいし、


お金がなくても豊かさに感謝してていい。















パンダやオセロも白黒じゃなくていいし、


ユニコーンに2本目の角が生えてもいい。


ピノキオの鼻が伸びるかわりに、
おじいさんの鼻が伸びてもいいね。
(おじいさん、とまどう笑)









こうだよ。と、
決めるのはじぶんであっていいし、
むしろ決めなくてもいいのだし、



在り方はいつも、
とても自由なのだ。







つまり、
主体的に決めて
受けとることのできない人にとっては、
イコールとても不自由とも言える。









まとまらないけれど、
そんな自由な在り方のことを考えていたら




翼を得た魚。




という言葉が浮かびました。


 








水じゃなくても、良いんだよねー♡















そんなこんなを考えていたら、
ちょうどきのうヨガをしていたときに、





左半身さんと右半身さんが、
なんとも面白いやりとりをしていたのです。笑






↓↓続きます♡