近場で1泊、
家族旅行に行ってました。












アウトドアな二日間にも関わらず、
暑がりなわたしは
ノースリーブを着てたのですが


日焼け止めを塗る範囲を見誤ったのか、
ノースリーブからちらっと覗く
わずかな範囲だけが見事に日焼けしました。汗







なんだかんだ
夏らしいことを満喫して、
短い夏休みを終えようとしています。














そうそう。






結婚10年目にして、





最近ようやく
おろそうとしている肩の荷がひとつ。















それは、
“平等”という意識。












男女が平等。


夫婦が平等。




表現はなんでもいいのです。









とにかく


“平等”という言葉で表される
バランスの類いは、


わたしにとって
もはやお荷物でしかなくて、



そのことに、つい最近
しっかりと気づくことができました。

















せっかく気づいたので
お荷物を肩からおろそうとするのですが、



ずっと無意識に背負っていたので
お荷物も相当の重量だった様子。笑






これがなんとまあ、
手ごわくてですね。。



そーっと、そーっと、しか
おろせなくなっておりました。汗












不平等な扱いをされたとしたら、
“平等”を求めて声を上げるのは
もちろん自然で大事なことだと思うのですが








わたしと、夫。






そもそも
これまでも対等だったし、
これからもおそらく対等なわけで。








「俺ばっかり。不平等だ!」





と夫から言われたことも、一度もない。
(忘れっぽいけど、たぶんないはず!笑)









なのに、
わたしが




「夫にとって不平等になってないか?」
「わたし、家事育児を半分やれてるか?」


必死に脳内サーチしている時間が
毎日、一定程度ある。






ガーン。





という衝撃的な事実に、
つい先日(ほんとに夏休み入ってから、ぐらい)
気づいてしまいました。











 


夫が洗濯物たたみやら食器洗いやら、
何かしてくれてると
もちろんありがたいのだけど、
それが続くと落ち着かなくて、


「わたしも役に立たねば。」


と、つい、
ムダなことを
まだまだ考えてしまう。







しかも、
考えるだけじゃなく、



「そうだ。アレ(何かの家事)をしよう。」



みたいな感じで
すぐに行動に移して、
みかけの平等に持ち込もうとするのです。笑





いやいや。
せっかく夫がやってくれてるんやったら、
子どもたちと遊んだり、
ぼーっとしたり、
のんびりしとけ。



「そうだ。」
て考えるぐらいやったら、

「京都へ行こう。」言うて
リラックスして京都行っとけよー。





て、客観的には思うのですが、
お荷物さんがグイグイと、
相当幅をきかせてくるのです。







 


みかけの“平等”に
即座に持ち込もうとしてしまうのは、







わたしの場合、きっと、



パワーバランスで
不利になりたくないから。
負けたくないから。



だと思うんですね。










待てよ。





何に負けるの?

夫と何か争ってたっけ?

平等マウントしてどうするの?










夫は家事育児をたくさんやってくれても、
わたしにマウントなんてしてこない。




わたしに褒めてもらおう、
認めてもらおう、
とする素振りもほぼない。




床がツルツルになって嬉しい、とか、
タオル替えといたよ、ていう業務連絡とか、
そういう報連相的なのはあるけれど。




わたしにどれだけやれ、
と求めることもない。






むしろいつだったか、

「何もしなくていいから、
頼むから機嫌よく居て」

と言ってたぐらいだった。笑












わたしは
“平等であるべし”という意識を
いつのまにか鎖に変えて、
じぶん自身を閉じ込めていただけだった。



わたしを不平等に扱っていたのは、
わたしだった。












わたしは自由で、
夫も自由だ。




わたしは家事育児をし、
夫も家事育児をする。




わたしは休みたい時に休んでいいし、
夫も休みたい時に休んでいい。











わたしたちは
必ずしも平等じゃなくていい。





けれど、
わたしたちはいつだって対等だ。












対等であれば、


「ちょっと、わたしばっかり。
ていま思ってる」


って、オープンに伝えあえる。







そうしたら
みかけの、じゃなくて
ほんとうに平等であれる。








対等であり、
じぶんを低く見積もらず、
じぶんを不平等に扱わずにいる。





じぶん自身に対して、
まずそういう態度で在ることが
とてもとても大切だったんだ。










 

今回の旅行にいたっては
前日まで宿の名前ひとつ知らず、

公園やお店の下調べも
車の運転も夫にお任せで、





おまけにわたしは生理中で
役に立つなんてことはほぼ出来ず、

道中は居眠りしていて、
着いたらマイペースに写真を撮って、笑




子どももろとも、
ほぼほぼ夫に連れて行ってもらった旅行。









何もしなくても価値があり、
何もしなくても愛される。







赤ん坊とおなじ
この出発点に立つのは
とてもザワザワするけれど、




じぶんをゆるす深さだけ、
受けいれる懐もまた
どんどんと深くなっていくのだと信じて。









そんなことを
じんわりと考える旅でした♡











旅のことはまた書こうかな。
書く書く詐欺が多めなので、小さめフォントで。笑