きのう会った
だいすきな友だち。








友だちから訊かれた。









「なんでゆうかちゃんは、
blogをFacebookに貼り付けるん?」
















彼女の屈託のない問いかけには、
いつもはっとさせられる。






否定する訊き方では
もちろんなくて、






―わたしはしないけど、
あなたはなぜするの?





と、
ほんとうに知りたい気もちだけで
まっすぐ訊いてくるのがわかる。







直球なので、
いつも、たじろぐほど本質的。






きのうも
すぐには答えられなくて





ぼんやりと浮かんだ答えを
すこしずつ口にしては居たけれど、






わたしのなかで
明確にしておきたくなった。

















blogを書く意味、と




書いたblogを
わたし自身が特定されるかたちで
Facebookに貼り付ける意味、と





そのふたつは
全然別物だなあ、と思った。










帰りみちのドライブ中


彼女の質問に対する答えを
ぼんやりと考えていて、


この記事のことを思い出した。




名も知らぬ道端の花たち。

 




道端の花が、意図せず
わたしを励ましたり、
癒したりてくれるように



顔も知らないどこかの誰かの言葉が
わたしを励ましたり、
癒したりしてくれることがある。










そこにあることで
何かのときに目につくように


Facebookの道端に置いていきたい、
と思う記事もある。






なんとなくだけど、
リンクしないでおこうと思う記事もある。





これはなんでだろう、
まだうまく言葉にできない。













元々知り合いだった人と再会した時に、


わたしのblogをひそかに読んでくれていて、
blogの言葉が好きだと言ってくれることが
じつは結構たくさんあって、


わたしにとってはすごくうれしい。













知らない誰かの道端の花。





だいすきな人たちへの、
ちいさなちいさな花束。





どちらにもなれるのなら、
なお うれしい。














なぜ?への答えは
まだまだじぶんでも深めたいと思う。





ノートとペンを手に、
向き合ってみよう。