この日。↓






感覚がめーっちゃ開いたまま、
めちゃめちゃご機嫌で帰宅したわたし。













 


娘の習い事があったので
早めに保育園にお迎え行って、
習い事も終わって帰宅。





母の作ってくれた晩ごはん(火曜は母担当)
を子どもたちとありがたく食べていたら。



 




「私が高校生になったら、
母ちゃん死ぬん?」




 

わたし
「え??たぶん、
まだ生きてると思うけど?」


 






「あの水族館の写真の時が
いちばん好きやから、
死んで♡




 


、、、



えーと。



えーと??









そんなわけで、

娘に明るく
「死んで♡」
と言われてしまいました。笑 

 






 

周囲の目には
まあまあ脈絡がなかった 笑のと、
フレーズの強烈さとで、 


母(ばあば)は
「そんな悲しいこと言ったらアカンよ」
とたしなめていましたが、






わたしは娘のことが大好きだし、
娘もわたしを大好きなのは知っているので
怒る気にもなれず、
むしろ笑いを堪えるのに必死でした。







 

娘は次男くんが生まれるまえの、
もうすぐ2歳になる頃の
水族館写真がとってもお気に入りで。



なんだか
その世界観がとっても大事なんだそう。




その世界観を守るには、
わたしが死ぬしかないらしい。笑








あまりにも極端な表現だけど、


直感で


それは、娘の美意識だ。


と思った。



 


それに、
わたしの想像でしかないけど
その極端すぎる美意識は、
なんだか 分かる気がしてしまった。




 




ここで時が止まったら完璧だ。



ここで物語が完結すればいい。



続きの日常なんて、なくていい。








そう思えるぐらい、
しあわせが結晶化する瞬間。

て、ほんとにあるもの。














もうわたし、
その思い出だけでいいから、
死んで♡


なーんて言える、
娘の軽やかさと罪悪感のなさが
あまりにも透明で、
まっすぐ伝わってきて、



変な話、
わたしはとっても嬉しかったのだ。
ええ、変態です笑
















それが
もしわたしの勘違いで、


娘がフツーにムカついてて、
じつはわたしのこと大嫌いで、


「死んで♡」
って言ってたとしたら、
だいぶ面白いけどな。笑





 
それはそれで、
笑ってしまう気がする。 










それから、
家族写真とは関係なく、



娘にとっては、
高校生ぐらいの年代で
母親という存在は死ぬのかもしれないなー。


とも思った。






もうこんな女はダサい、と思われ、
この人からは学ばない、と思われ、
外に多くの素敵なモデルを見つけていく。


 
女性のモデルの
象徴としての母親は、
その頃ちょうど死ぬのかもしれない。




そんな時期への予言なのかな。







 



その晩は
そんなことをとりとめもなく考えて、




ひとりの人間としての娘の成長が
さらに楽しみになってしまった、
わたしでした♡