のんびりペースで綴っていきます。
二十歳の中絶のとき
わたしの存在を置き去りにしたのは、
母の発した言葉や感情なんかじゃなく
わたし自身だった。
と、気づけた。
(というか、前に気づいてたはずの事実。
今回のザワザワ、怖さでしっかりと思い出した)
あのとき診察室で、
いや、診察室から出たあとでもよかった。
「わたしはこうしたい」
「わたしのことだから、わたしが決めたい」
「考える時間がほしいから、すこし待って」
なんでもいいから、
ことばにならなくてもいいから、
わたしは声を発すればよかったんだ。
今のわたしになら、
きっと それができる。
いまだに怖いままのわたし
そのままのわたしで、伝えればいい。
「3人目はない約束だろう」
って たとえ言われたってかまわない。
「わたしたちは産むと決めました」
「だから、できれば力を貸してください」
って、とにかく伝える。
その結果、
母が怒ったってかまわない。
「これ以上協力できない」と言われたら、
わたしたちの生活をもう一度考えればいい。
そう心に決めた。
そして、
年内に産婦人科を受診して
妊娠確定の診断を受けたら、
その日に両親に妊娠報告しよう。
そう考えていた。
“その日”は
突然、やって来た。
年末近くなってきたある日。
なんだか眠くて仕方なくって、
午後からの勤務にそなえてギリギリまで
ソファーで休んでいたわたし。
やっとのことで起きて出勤したものの、
職場の下駄箱に着いたら
ものすごく気持ち悪くなり、トイレで嘔吐。
その後のミーティングにも出たけど、
顔色が真っ青になり
直後にトイレに駆け込み、嘔吐。
上司には妊娠報告を済ませてあったので
体調が悪いことを伝えると、
その日は大事をとって休ませてもらうことに。
(それ以降、悪阻が悪化して休職し、現在に至ります)
で。
なんとか運転して帰宅したのだけど。
自宅には
家事育児を手伝ってくれている両親が。
仕事を休んで帰ってきて、
理由を言わないわけにもいかない。
でも今日、三人目妊娠について話すなんて
心の準備、まるでできてない…
でも
勇気をふりしぼって
「じつは、妊娠したみたい」
と、両親に言ってみた。

まだ宇宙人な息子(長男)と交信している母の図。
父も母も、
予想外だったようで
すごく驚いていた。
(だろうね、笑)
けれど
「それはそれは、おめでとう」
って、こころから歓迎してくれた。
特に母は
「私も本当は三人ほしかったけど、
いろいろあって二人しか無理やったから。
そっか、よかったなあ。」
って喜んでくれて。
わたしは何を心配していたんだろう?
三人目の妊娠を
誰よりもタブー視して、
まるで罪のように感じていたのは
やっぱりわたし自身で。
でもそんな
じぶんが作りだしたタブーだけど、
そのタブーがあったからこそ
怖さをかみしめて、
怖さを超えて、伝える体験ができた。
伝えてみたら、
わたしを取りまく世界は、
わたしの想像以上にやさしかった。
いつだって、そうだ。
わたしたちが
怖さや不安を飛び越えるとき
世界は想像以上にやさしく、
世界は想像以上に愛にあふれてる。
わたしは
わたしたちは、何度でも
そのことを忘れては
恐れ、不安がり、
また勇気をもって飛び越えて、
その先の 愛の世界を知る。
いや ほんとうは
ずっとそこにあったはずの、
恐れや不安の靄でみえなかった愛の世界。
恐れを超えたその先へ。
わたしが作りだした靄の、その先へ。
一歩ずつ、歩いていこう。
怖いままのわたし、
不安なままのわたしで。