友人のおかげで今年の春は好物のプンタレッレを、お腹いっぱいに食べられた。単品食材も旅で交わした会話が詰まる器に盛れば、にぎやかに映える。

 

      

 

 



 

 しばらく家の改装準備に追われていた。薪ストーヴ設置から10年が経つ。50畳ほどの広さを暖められるというので、1階部分をほぼひとつの空間に造り変えたが、独り暮らしになると、造りの開放感が逆に居心地の悪さになった。夫とふたりで当たり前のように座っていた居場所に、いつものようにいるだけなのに、どこか落ち着かない。そのわけが最初は理解できず、時間とともにガランとした感覚にも馴染んでいくだろうと、あまり深くは考えずにいた。

 

 

  それが月半分は病院で寝泊まりし、あとの半分は自宅で暮らすを繰り返すのが一年にもなるあたりから、囲まれた小さな空間で、身体を休めたいという思いが募った。そこに居さえすれば、私が私に戻れる、心の帰る場のようなものさえあれば、生き直すこともできるかもしれない、そんな感覚だ。

 

   居場所づくりの準備と絡め、心身の能力が低下するこれからを想い片付け始めると、手を入れる必要もない場所まで気になりだし、結果恥ずかしい量のものを廃棄した。


 

 毎日重いものを移動させていたからだろう、右手指の関節が腫れて、曲げ伸ばしも然る事ながら水がさっと当たっただけでも疼き、これは針が持てなくなる前兆かと思うと、何のための居場所づくりかと情けなくなった。

 

 

 先日、改装のアレンジをお願いしている設計士の友人が、打ち合わせを兼ねお昼を一緒しに来てくれた。私には頻繁に採れたての野菜を届けてくれるふたりの友人がいて、加え沖縄の友人からも自宅前の畑で作るイタリア野菜が箱いっぱい届くから、家内の片付けに構いっきりでいても、食材は豊かだ。

 

 ナスの胡麻酢和えに、パクチーとアケビの花を添えたサラダ。ファッロのパスタに深茹でした菜花とサーモンを合わせた。トッピングはピスタッキ。

「塩と油、酢くらいの単純な調味料だけなのに、なんでこんなに美味しいのだろう」

仕事に関して最近引き手数多で、休む間もない友人が、おそらく身体の一番欲している食材を口にしたからだろう、作り手冥利の褒め言葉をかけてくれた。胡麻酢には梅酢と梅シロップを使ったから、味に深みが出たかもね。と応えながらも、やはり嬉しい。







 大切にしたいというものが近い感性の人と会話すると、何を自分が欲しているのかが明確になる。それは普段から卵愛いっぱいの彼女の、部屋の壁は卵の殻入りのペイントにしましょうのひと言から生まれた。

 

 モミの木を使った前の改装は「棺桶」がテーマだったのよね。消臭効果のあるモミの木はドイツなどでは棺桶材に使われているそうだから。

  今回のテーマは卵にしましょうよ。部屋の扉にも卵の形をくり抜いて。きっと私は卵の中で安みたいのだわ。


 生活の伴侶を突然の形で失っている彼女に、それ以上説明する必要はない。夏まえくらいには心に馴染む居場所が供されるはずだ。

 

 
   春に堪能したもうひとつの野菜がフェンネルだ。

 シチリアを旅した4月、黄色の花をつけたフェンネルの自生する風景をいたるところで目にした。その昔、フェンネルを見てもそこを素通りする旅人には魔性が宿っているという伝え話もあるくらい、フェンネルには薬効効果がある。


 ヴェネツィアの大家さんが肉料理を食べたあとに、肉をたくさん食べたから、これを少し食べなければね、とスライスした生のフェンネルを手でポリポリした。そうだ、この国ではメイン料理のあとでこうした野菜類を食べるのだ、と実感させられたときだった。

 


 蜂蜜漬けの甘夏とフェンネルのサラダ。フェンネルの葉とあり合わせの鯖缶を使ったファッロのパスタ。

 

 

 
 

 

 ヴェネツィアのマルゲリータ広場にあるPUNTOという小さなスーパのガラスケースに、野球ボールくらいのたくさんの緑色の団子が並んでいた。ほうれん草とチコリの葉を予めしっかり茹で丸く固めたものだとしばらくして知ったが、初めはこのボール状のものが、どんな料理に使われるものか皆目わからず、ただただ奇妙な食材に映った。

 

 あるとき、日本人料理人のタクが、我が家の台所で私の茹でたほうれん草を少しつまんで、「う~ん、日本のお浸しだな」と小声を吐いた。このひと言で私はイタリアでの野菜の火の入れ加減を、彼から学んだ。

  イタリアの土は石灰分が多いから深く茹でアクを抜くともいうが、色味を気にせずしっかり茹でた野菜は、本来の滋味が引き出て甘いと感じる。


 

 もうすぐ収穫時期が終わる葉物に、菜花がある。唐菜といわれる菜種油用の菜花ではなく、白菜の薹立ちした菜花をことさら好む私に、毎回たっぷりとその菜花を友人が届けてくれる。これをじっくり茹でパスタと合わせるときになると、必ず食材を口の中でゆっくり転がしてからおもむろにその味の印象を述べ始めるタクの顔つきが浮かんでくるのだから、体験や思い出のスイッチはおもしろい。

 

 

 
 
 
 

 

 一昨日は広島の友人が孟宗竹を送ってくれた。昨年のこの時期、ウィルスが蔓延し始め、病院側も面会を希望する患者家族への対応に苦渋していた。結果3月末から5月の連休まで夫の部屋で私は暮らすことになった。限られた食材を電子レンジとトースターで料理する身に季節を感じる食材は皆無だった。「去年からタケノコを食べていないの」のひと言で送られてきたタケノコは、ことさら甘く滋味が沁みた。

 

 

 

 

   最初は炊いたタケノコに山椒ペーストを添えたらどうかと山椒の木ををながめると、昨年ほとんどつかなかった花がそこかしこに咲き始めている。葉と一緒に花芽も摘んでしまいそうで、ペーストはまた来春の話にし、今年はしばらくしたら実を収穫し、うまく出来たら広島の友人や沖縄に小さな荷物を作ろう。

  沖縄では何度植えても山椒は根つかないという。一説には魚のにおいを孕む風を山椒が嫌うからと聞いたが、本当だろうか。


 

 数日まえからレースの針を持ち始めた。2月半ばからの仕事なのだからもう出来上がってもよいくらいなはずが、今回はあまりにも学びが多く、3度やり直しをしてしまった。あと20日くらいで出来上がるだろうか。今回は細かな手順を与えられず、これこれのことだけに留意してあとは自由にステッチしなさいと言われ、刺してみて初めてわかったことが多く苦労したが、たくさんの気づきがあった分、カ-ビンクを想わせるアエミリア・アルスの世界に近付けたようで、それが嬉しい。







   明日は病院。夫の治療が新たな方向に向かう日になるはずだ。