夏の終わりの備前堀灯篭流し | 旅するえみな

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  故郷定住08


旅はナナメ歩きが面白い

 

自ら参加する灯篭流しはいいものです

 

お盆休みが終わると

学校に行っているわけでも会社勤めをしているわけでもない私でも

夏休みが終わった気持ちになります。

 

 

今年はいつもより長く一週間帰省していた娘ファミリー。

賑やかな玄関。

 

いつも空いているゲストルームも二つのトイレも

テレビもエアコンも冷蔵庫もフル稼働。

家はにぎやかな空気を楽しく深呼吸しているみたいでした。

 

孫はご近所の同じくらいの歳の子とお友達になり

連日庭でプール遊び。

「今年の夏休みの思い出はセミの声!」というコメントを残して

日焼けしたお顔で東京へ帰っていきました。

 

黄色い花

 

気がつけばお盆も終わり。

8月16日は送り盆です。

 

迎え盆は8月13日にお墓参りをすることが慣例の我が家ですが

送り盆についてはこれといった習慣はありませんでした。

私の実家自体が本家ではなかったので

特に伝えられている行事を持たなかったのです。

 

そんな折、市の広報で

「備前堀灯篭流し」の催しを知りました。

当日600円で灯篭を購入して誰でも参加できるとのことでした。

 

ふと、行ってみる気持ちになりました。

 

黄色い花   黄色い花   黄色い花

 

そもそも「備前堀」ってなあに?ときっと多くの方が思うでしょう。

一部の専門家を除いて

茨城県の水戸市民くらいしかその名を知る人はいないのでは?と私は思います。

 

備前堀とは、水戸市内にある千波湖から流れる桜川から取水し

水戸下市地区を通り国道51号線に沿って流れ涸沼川にそそぐ

全長約10キロの本流と、新川と呼ばれる支流からなる掘割のことです。

現在は「歴史ロード」として新水戸八景にも選ばれるなど

水戸市の代表的な観光スポットでもあり歴史遺産でもあります。

そして農業用水路としても現役で活躍する実用施設です。

 

作られたのは江戸時代初期。今から400年以上前のことです。

その工事に携わったのは伊奈忠次。

         伊奈忠次像(水戸市・備前堀の道明橋に設置)

 

伊奈忠次と聞いて少し歴史にお詳しい方ならご存知でしょうか。

戦国時代から徳川家康に仕え、家康の厚い信頼を受けて

当時湿地や沼地だった江戸の地に大規模な治水工事をおこない、

利根川をはじめとする河川の付け替えや関東平野の新田開発など

江戸幕府の財政基盤の地固めをした方です。

息子の忠治とともに現在の東京の基盤を築いた人なのです。

2019年NHKドラマ「家康、江戸を建てる」の中では

松重豊さんが演じておられました。

 

そのころの水戸藩もまた草創期。

初代藩主徳川頼房はまだ7歳で座に就いたばかり。

そんな水戸領の民政を家康の命を受けた関東郡代の伊奈氏が担いました。

この備前堀は水戸の灌漑用水と洪水防止、さらには水上交通も目的として

土木事業に力のあった伊奈氏によって作られたものです。

「備前堀」とは関東郡代・伊奈備前守忠次にちなむ名前なのです。

 

黄色い花   黄色い花   黄色い花

 

私にとって備前堀はごく小さい時から身近なものでした。

母の実家はかつてこの備前堀のほとりにありました。

 

備前堀にはいくつもの橋が架けられていて

「金剛橋」という太鼓橋のたもとに母の実家はありました。

今は移転しているので別の方のお住まいとなっています。

                   金剛橋

 

小さな子どもの目にはものすごく大きなカーブを描いたアーチ橋でしたが、

大人になって訪れてみると拍子抜けするくらい小さな橋でした。

夏休みに遊びに行ったときなど

庭先にあった階段を下りて堀の水際まで行き

橋のたもとでザリガニ取りなどもしました。

いまはきれいに護岸工事がされていてあまり面影はありません。

 

また、中学時代はこの備前堀のある学区で過ごしました。

悪ふざけをする男子などに

「備前堀に沈めるぞー」なんていう先生の常套句は耳にタコができるほど。

夏には水田耕作のために満々と湛え流れる水を、

水田がお休みになる冬場はカラッカラに乾いた堀底を

目の端で感じながら備前堀のヘリを歩いて登下校しました。

空気と同じくらい日常的な風景の備前堀でした。

 

黄色い花   黄色い花   黄色い花

 

 

備前堀灯篭流し会場界隈地図

 

時刻は6:45頃。

ゆっくり歩いて灯篭流し会場へと向かいます

いい感じで日も暮れてきました。

この写真のあたり柳並木があり、お堀に風情を添えています。

恩田陸さん原作の映画「夜のピクニック」でこのあたりがロケに使われていました。

 

特設テントに設けられた御祈祷所。

お坊さんたちが灯篭流しの時間を通して読経してくださっています。

この一角で灯篭を買うことができました。

供養したい人の名前を記入して灯篭流しができる場所へと進みます。

 

無事両親の灯篭を備前堀に浮かべました。

夫も自分の父親の名を書いた灯篭を流しました。

 

子どもの時から慣れ親しんだお堀は

今夜、架け橋となって

きらきらと優しく光を反射しながら

父母たちのたましいを運んでいきます。

 

見送る人たちの思いもそれぞれ。

 

 

ふっと愉快な気持ちになりました。

母は子どものころ遊んだ備前堀に

「何の因果でプカプカ流されていくのー」って思っているかしら、って。

そして、主人の父は「見たことも聞いたこともないお堀の水面をなんで流れていくんじゃろ」

って言っているかしらって。

2人でそんなことを楽しく言い合いながら会場を後にしました。

そして、なぜかほっとしている自分がいました。

お盆でお家に来た魂をこの手でちゃんと送れたという

自己満足かもしれないけど安心感。

 

 

 

この灯篭流しは銷魂橋(たまげまし)のたもとからスタートし三又橋まで。

(地図の赤いハートマークからハートマークまで)

そこで回収供養されます。

この備前堀は今でも現役で農業用水として使われているものですから

環境にも配慮しているのですね。

 

黄色い花   黄色い花   黄色い花

 

初めて参加した灯篭流し。

これから毎年行こうと思いました。

 

 

娘ファミリーの楽しい襲来と灯篭流しが終わり

私の夏休みもすっかり終わった気分。

リフレッシュした気持ちで新しい季節へと向かえそうです。

 

ご訪問ありがとうございました。   えみな