天才とは、ステップを飛ばせる人のことを言う。
野球がうまくなるには、勉強ができるようになるには、仕事ができるようになるには、1から順にステップを踏み10に届くことである。天才は1から9を飛ばして10ができるようになる人である。
いきなり速い球を投げることができる。いきなりテストで100点を取れる。いきなり仕事ができてしまう。これを天才という。
一方で秀才とは、1から10のうち、いくつかを飛ばすことができる。1から3、4。5、6から9という器用さがある。そして不器用な凡人は1からコツコツ積み重ねて10に進むしかない。
天才は、1から10に飛ぶので、実は2から9への進み方をしらない。
なので、スランプにハマれば抜ける方法がないし、別のポジションを扱えば簡単に10に行けないので適性がない。だから、天才は弱い。こと、これだけ市場環境の変わる現代のビジネスにおいて天才は酷く弱い。
一方で考えてないいない秀才と凡人もひどく弱い。秀才は飛ばした2や7、8のやりかたがわからない。でもここで本当に優れた人は飛ばした階段を上から(9や10から)眺めてそれをロープレ、あるいは想定することで飛ばしたステップすら実力にすることができる。実は天才も同じ。
これをやっていない秀才もスランプに弱く、競技やポジションが変わった時に弱い。一方でコツコツやっとこさひとより時間をかけて10に届いても、もうそこに人がいないのが現代のスピードの速い市場。その速度では使い物にならない。
要するに、考える天才、考える秀才でしかこの時代のビジネスは生き残ることができない。不器用な凡人も敗者であり、考えない天才も敗者となる。
一方で秀才とは、考えとコツにより階段を飛ばせる人のことを表すので、ただの凡人も考え工夫して歩むことで秀才になることができる。要するに考えて考えて考え抜いて仕事に取り組むことが前に進む最低条件である。凡人か秀才か天才かは生まれ持った才能か努力で磨いた才能である。
天才を倒す方法は、考えて仕事をし、秀才・天才になり、どんな市場環境でもインパクトある仕事をする思考力を持つ人になること。である。
今が凡人であれ、秀才であれ、天才であれ、考えない者は終わりである。努力と思考の秀才こそが最強のビジネスマンである。