実るほど頭を垂れる稲穂かな『内匠屋 理氏お別れ会』at【帝国ホテル】富士の間「惜別の辞」1.2. | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。

 

実るほど頭を垂れる稲穂かな

 

 

 

 

弥生十六日の午後

由美ママは、

元メディセオ会長 内匠屋 理氏の『お別れ会』に【帝国ホテル】「富士の間」へ!

 


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「惜別の辞」1.


逝く君を語るのはつらい。齢八十余の身にとって尚更である。
君は先年の酒席にて「私は九十歳まで生きますからおにいちゃんの葬儀委員長は私がやりますから」と軽井沢にてシャトーラトゥ―ル85年もので至福の一刻(ひととき)を・・・
想えば四十五年に及ぶ長い交遊だった。


いつも洒落たダンディな背広で身を整え、ダジャレ好きな割に礼儀を心得た紳士だった。
天下国家に熱き思いを語ると思えば銀座に話しが飛ぶ多才ぶりは耳を傾けるに興味は尽きることがない。仕事を愛し家族を愛し銀座を愛した斯界の最後の一人かもしれない。
人生を愛する人は一多けれど人生に愛された人は君が一番だろう。ゴルフでは学生時代に全日本クラス、ワイン愛好家としては数千本保有のカーヴを持ち単なる高級好みにあらず、本物の一流好みの紳士であった。


かつて病院学会の「薬価差をめぐる」シンポジウムで数千人の医師の聴衆に向かって最近の過大な薬価差の原因はと問われ「先生方の過剰なる要求にあり」真向から切り込み、全日本病院協会長をして「あれは何者だ!」と怒り、司会の小生をして困惑したことがあった。
数日後、かの会長を訪ねると「彼はいいね、いい男だ」
君の処世術と人垂らしの見事さに驚きとともに流石の経営トップと感嘆もした。医療界のトップクラスや政官財の歴々との交流は至極当然と思えた。
現在のメディパルホールディングスを熊倉貞武君と共に支えたのは万人の知るところである。


最後に、君には多くのことを学んだ。
特に前向きで好奇心の強いところだ。そしてすべての人に愛され、愛した人生讃歌を遺訓として後世の人に君の生き様を伝えたいと思う。
合掌
―医療フォーラム 主宰 岩田明達

 


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「惜別の辞」2.


たくちゃん、僕の声は届いていたかな?
たくちゃんが逝く前の日、電話越しに「がんばれよ!」と声をかけたよね。
そして「いろいろ、ありがとうね」とも。
今思えば、最後にこの言葉を言えて本当に良かった。


たくちゃんとは丁度50年、同い年で共に創業者出身の経営者としてやってきました。
僕が旧クラヤ薬品の社長に就任する時、「俺は熊ちゃんの女房役になるよ」と言ってくれましたね。
おかげで思い切って経営ができたし、会社が一枚岩になれました。派閥のない会社、この伝統はメディパルにも繋がっています。


人をもてなすにあたっては心配りのずば抜けた、正にプロでした。パルタックとの経営統合のパーティをここ帝国ホテルで開催した時でした。どうしても和食と洋食の両方でおもてなしをしたいと、厨房の大変さは分かっていながら、頑として譲らず実現しましたね。
お客様は大いに喜ばれたし、無茶な要望をやり遂げたホテル側も大きな達成感があったようで、未だに帝国ホテルの語り草になっているそうです。


お得意先にも物おじせず、ゴルフに対してはそれ以上に厳しく、礼儀や規則を軽んじたら相手が誰であっても面と向かって言う。その度胸の良さもたくちゃんの魅力のひとつで、多くの人に愛されてきました。そんな頼もしいたくちゃんも、その実、かなりの寂しがり屋。
だから、惚れ抜いた奥さんとのひと時は本当に幸せそうでうらやましかった。なのに・・・


あなたが愛したメディパルと医薬品業界。その行方をこれからも見守っていてください。そして間違ったことがあったら遠慮なく喝を入れてください。
たくちゃん、本当に長い間ありがとう。


―株式会社 メディパルホールディングス 名誉会長 熊倉貞武


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内匠屋会長、熊倉会長と共にお招きいただいた【軽井沢ゴルフ倶楽部】や【つきじやまもと】&【料亭 波むら】など、数えきれないすばらしい時間を本当にありがとうございました。


心より感謝と共に内匠屋会長のご冥福をお祈りいたします。

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