故森田芳光監督「悲しみのプレゼントを持ってくるサンタクロース・・」クリスマスイブの涙の葬儀告別式 | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。



ジャズの音や 冬空高く 響き行く





昨日

由美ママは、

25年来

親しくさせていただいていた

日本映画界の巨匠

故森田芳光監督の

葬儀・告別式へ

青山葬儀所へと

出かけました・・・

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*常に時代を先駆けた天才映画監督!森田芳光監督の早すぎる死を惜しみ心よりお悔やみ申し上げます・・・

http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-11113672029.html  (2011年12月21日号)



故森田芳光監督の葬儀・告別式「青山葬儀所」

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督葬儀  

前々日の通夜とともに

葬儀・告別式にも参列した

由美ママですが、

冬晴れの下、

「失楽園」「阿修羅のごとく」

の主役黒木瞳さんの他、

「おいしい結婚」

での主役三田佳子さん、

「椿三十郎」主役の

織田裕二さんら

出演俳優や、

映画監督らが多く参列なされ、

故人との別れを惜しみました・・




先ず

最初に弔辞を読み上げた

黒木瞳さんは、

「監督の真っすぐな瞳を見て、

私の女優人生を

この監督に

賭けてみようと思いました。

いつも迷うことなく、

難なく私を導いてくださいました」


と主演作「失楽園」の際の

思い出を述懐し、


「いつも憎い演出でした。

クリスマスイブに

こんな悲しみのプレゼントを

持ってくるサンタクロースなんて

最後まで憎い演出です・・・」


「今日の日は

映画のワンシーンだと

おっしゃってください・・・

愚痴と感謝と

お別れのラブレターを

あなたに捧げます。

愛をこめて。

さようなら・・・」

と涙まじりに語り、


「今日はあなたのために泣かせてください」

・・・とお別れの言葉を

語ってくれました・・・



次に

「おいしい結婚」に主演し、

「海猫」に出演した

三田佳子さんが

読み上げた弔辞は、


「こんな形で

久しぶりにお会いすること、

とてもつらいです。

どうしてあなたは

こんな風に

切り裂くような別れを

我々に強いたのですか?」


と9歳年下の

監督の早すぎる死を惜しみ、

初めて出会った時を振り返り


「新鋭らしい

オーラを放った姿がステキで、

私もウキウキしました」と

故人を懐かしみました・・・




森田芳光監督FILMOGRAPHY

“の・ようなもの”

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督葬儀 FILMOGRAPHY  

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督葬儀 FILMOGRAPHY2

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督葬儀 FILMOGRAPHY3

由美ママは

21日のブログの追悼文では、

“モリカン”こと

森田監督との

エピソードを少し

書かせていただきましたが、
今号では

三田佳子さんが

弔辞で読んだ


「“森田イズム”

“森田ワールド”は

伝説となって

永く世に残されていきます・・」

と語ったことから

その作品について

触れさせていただきます・・




先ず、

日大芸術学部落語研究会の

先輩に当たるという

放送作家の高田文夫氏が、

「デビュー作の『の・ようなもの』は

僕と彼の話」と明かした

映画『の・ようなもの』1981年

(N.E.W.Sコーポレーション)
は、記念すべき

プロ監督としての

“デビュー作品”ですが、

落語の世界を題材にして、

コメディの要素を取り入れた

青春群像映画として仕上がり、

へんてこなリズムで、

ヘタうま?俳優主演の

落語家とソープ嬢の恋物語です。


この作品について、

森田監督は

「『人間はみな面白いものだ』

という観点から

人間をより多面的にとらえ、

言葉やしぐさの中に含まれる

人間的な温かみを表現したかった」

そうですから

森田ファンにとっては

“人間が大好きな”

森田監督の原点が観れる

貴重なデビュー作ですビックリマーク

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督 の・ようなもの  
監督森田芳光 出演秋吉久美子/伊藤克信/尾藤イサオ/でんでん/小林まさひろ


この

『の・ようなもの』で、

第3回ヨコハマ映画祭(1981年度)

日本映画ベストテン第1位、

作品賞、新人監督賞を受賞した後

衝撃的な話題作となる

1983年作の

『家族ゲーム』(TG映画)は、

森田監督のフィルモグラフィを

代表する作品のひとつですが、

物語は

奇妙な家庭教師と

いじめられっこ少年が繰り広げる

コミカルな青春コメディで、

前衛と娯楽を絶妙に

ミックスさせることに成功した

希有な作品として仕上がり、

1980年代を“代表する作品”

であると同時に、

日本映画の歴史にも名を残す

傑作と言うべき作品です。


また

多くの映画青年たちにとって、

この作品で森田芳光は

“ヒーロー”になり、

目指すべき目標となり、

さらに

個性派アクション俳優だった

松田優作が、

演技者として評価される

きっかけとなった

作品でもありました。

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督 家族ゲーム  
監督森田芳光  出演松田優作/伊丹十三/由紀さおり/宮川一朗太/辻田順一


『家族ゲーム』については、
“横ならびの食卓”に

家族が一列にならぶシーンが

新たな映像表現として

話題を呼び評価されましたが、

ここで

“一家”の母親役を演じた

由紀さおりさんは

告別式にて、

同作に主演した松田優作さん、

夫役を演じた伊丹十三さんに続き

森田監督も亡くなり

「寂しいですね。

いつも3人は食事のときに

映画の話をしていました。

本当に映画が大好きな方々でしたね・・・」

と思い出を明かし

故人を偲んでいらっしいました。



その翌

1984年は

由美ママが

かつて大ファンだった

“ジュリー”主演の

『ときめきに死す』

(ニューセンチュリー・プロデューサーズ映画)

は、盛りを過ぎた

信州の避暑地の様子、

世話を依頼された“彼”との生活

そして政治家の暗殺に

成功すると思われていた 

“彼”が謎の死を遂げるまでを

“私”の視点から緻密に

描いた作品で、
狭い空間内で

共同生活を送るうちに

生じる出来事を綴る

異色の心理サスペンスですビックリマーク

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銀座由美ママの心意気-森田芳光監督ときめにき死す  
監督森田芳光 出演沢田研二/樋口可南子/日下武史/矢崎滋/岡本真



それから

『それから』1985年(東宝映画)

は、明治後期の東京を舞台に、

親友の妻への愛に悩む

主人公の姿を描いた

夏目漱石の同名小説を

映画化した作品で、

登場人物たちの揺れ動く心情を、

美しい映像の下、

少ない台詞の中で

格調高く描いた名作ですが、

この

“森田監督&松田優作”

コンビの第2作目は、

明治文学と実験的な

映像スタイルの融合を図り、

論争を巻き起こすことで、

注目度を上げることに

成功した作品となりましたが、


ただ

惜しまれるのは、

“森田&松田”は、

黒澤明監督&三船敏郎的な

コラボが完成するかのように

思われましたが、

しばらく後に

松田優作が若くして死去。


森田監督にとって

彼独得の世界観を築くための

パートナーを失ったことは

大きな痛手だったと思われます。

↓↓↓
銀座由美ママの心意気-森田芳光監督それから  
監督森田芳光 出演松田優作/藤谷美和子/小林薫/笠智衆/中村嘉津雄


そして

社会現象を巻き起こすほど

大ヒット作品となった

渡辺淳一ベストセラー小説

「失楽園」の映画化は、

マスコミや世間を巻き込んでの

一大ムーブメント化に成功し、

タイトルまで流行語になりましたビックリマーク


この

小説「失楽園」は、

1995年から翌年にかけて

日本経済新聞朝刊に連載され、

不倫を主題にした

艶めかしい内容の小説で、

一般向け新聞連載では

あまり例のない性描写を含め、

連載当時から

ネオン街でも話題にのぼって

いましたが、

映画は同じタイトルで

1997年(東映映画)に映画化。

↓↓↓
銀座由美ママの心意気-森田芳光監督 失楽園
監督森田芳光 出演役所広司/黒木瞳/星野知子/寺尾聰/柴利夫



この映画『失楽園』の

銀座【由美】www.yumi-ito.com

での“大ヒットパーティ”では

告別式のBGMとして

流されていた

“モリカン”が大好きだった

サザンオールスターズの

「真夏の果実」を

監督自ら

歌って下さったのが

今でも想い出されます・・・



由美ママは

今年の年末年始は

ゆっくりと

これらの

森田作品を観て

ひとり“モリカン”との想い出に

浸りたく思っていますが、

告別式の出棺時には

妻としてプロデューサーとして、

公私にわたって

監督と共に歩み続けてきた

和子夫人(三沢和子http://www.jmdb.ne.jp/person/p0139590.htm

が、「ようやく人間というものが

分かってきて

これからに

希望と意欲を燃やしていたのに、

どれほど無念かと思うと

痛恨の極みです・・」と志半ばで

旅立った監督の思いを代弁し、


「いつも

『世界で自分にしか

撮れない映画を撮りたい』

と言ってました。

どうかご参列いただいた

映画関係者のみなさんで

(遺志を)引き継いで

やってほしいと思います・・・」と

言葉をつまらせながら語り、

「少年のように

おちゃめな監督がいたことを、

いつまでも忘れないでください」

と気丈に挨拶され、

最後はジャズナンバーの名曲

「A列車で行こう」の

軽快なメロディーに乗せて

故人を見送らせていただきました・・



由美ママは

最後のお別れに

監督の枕元に

胡蝶蘭を添えさせていただき、

安らかな死に顔に

祈り涙を落しましたが

“映画監督”の意味が

込められた法名

「常然院釋芳映(じょうねんいんしゃくほうえい)」

を心の奥に刻み、

いつまでも

“森田イズム”と“森田ワールド”が

伝説となり、永く世に残されるよう

静かに祈りを捧げました・・・




“モリカン”

25年の長きにわたり

ご贔屓にして下さり

本当にありがとうございましたビックリマーク


“モリカン”の

映画少年がそのまま

大人になったような

純真なまなざしや、

常に新しい映画を・・・と、

誰も撮ったことのない

小説でもテレビドラマでもない、

世界でたったひとつの映画を

撮りたい・・・とおっしゃた

あなたの熱い想いは

きっと“森田組”によって

継承されることでしょう・・・



どうか

安らかにお眠り下さい・・・


クラブ由美 伊藤由美