サムライから葡萄王へ長澤 鼎の生涯.・・「サンタローザ」パラダイスリッジワイナリーとオーパスワン | 銀座由美ママの心意気

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働く女の心意気を、銀座という世界を通して、様々な観点から表現したくブログを始めました。 そんな銀座ママの日常です。どうかご笑覧下さいませ。



サムライから葡萄王へ. 長澤鼎の生涯.・・・



サンフランシスコでの由美ママの今日は、カリフォルニアの明るい空の下、
長閑な丘陵地帯が広がる「Napa Vally」へと出かけました。




銀座由美ママの心意気-ナパバレー オーパスワン

『オーパス・ワン』 http://www.opusonewinery.com/

銀座由美ママの心意気-オーパスワン

銀座由美ママの心意気-ナパバレー由美ママ

銀座由美ママの心意気-ナパバレー葡萄畑

銀座由美ママの心意気-オーパスワン

銀座由美ママの心意気-オーパスワン庭


銀座由美ママの心意気-オーパスワン由美ママ2





先ず、カリフォルニアワインの王様とされる彼の『Opus One (オーパス・ワン)』 http://www.opusonewinery.com/

のワイナリーへと行き、
続けて道を隔てて反対側に位置する『ROBERT MONDAVI(ロバート・モンダビィ)』

http://www.mercian.co.jp/rmw/index.html のワイナリーへと行きました。

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銀座由美ママの心意気-ナパバレー ロバート・モンダヴィ

銀座由美ママの心意気-ロバート・モンダヴィ

銀座由美ママの心意気-ロバート・モンダヴィ由美ママ



この「Napa Vally(ナパバレー)」では、実り豊かなカリフォルニアワインを

ゆっくりとテイスティングして、
芳醇な葡萄の味わいを十分に堪能した由美ママでしたが、
その後、さらに足を伸ばし、「Napa Valley」の西側にある

「Santa Rosa (サンタローザ)」という街に到着。
当初の目的地である『Paradise Ridge Winery(パラダイスリッジ・ワイナリー)』http://www.prwinery.com/  

という小さなワイナリーに向かいました。

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銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイナリー

銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイナリー2

銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイナリー由美ママ

銀座由美ママの心意気-長澤鼎

銀座由美ママの心意気-長澤鼎2




ところで、なぜ『Paradise Ridge Winery』かと言えば・・・???
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このワイナリーは、「バロン・ナガサワ」と呼ばれ、

のちの「カリフォルニアのワイン王」とされた江戸時代の薩摩藩士「長澤 鼎(ながさわ かなえ

本名・磯永彦輔1852年 ~ 1934年3月1日)」所有のワイナリーで、

薩摩藩士の中原猶介 http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10306237539.html (2009年7月26日号) http://ameblo.jp/ginzayumimama/entry-10405538389.html (2009年12月7日号)の子孫でもある由美ママとしては、ここは欠かせない訪問でした。





ここで「長澤 鼎」を少し紹介しますと・・


鼎は元は慶応元年の薩摩藩秘密留学生の一人にして、トマス・レイク・ハリスの弟子ですが、
こののち、数奇な運命をたどった明治人の一人・・・とされるのは、
彼は天文方の家に生まれ、幼少時より学術優秀と評判を博し、
薩摩から英国に秘密留学生が送られる際、若干12歳で選ばれました。


当時は秘密留学生ゆえに「長澤 鼎」という偽名で、
1865年3月に、トマス・グラバーの手引きにて蒸気船で日本を密出国。

香港、ボンベイを経由してスエズ運河より上陸、
陸路でアレクサンドリアに向かい、地中海を抜けて5月末に英国に到着しましたが、
鼎は他の留学生の違い、あまりに年少ということで
スコットランドのグラマースクールに送られ、
グラバーの兄の家に下宿しつつ英語を学びます。




この時の記録によると
学業きわめて優秀だった・・・とのことで、
1867年7月渡米し、ハリスの共同体の一員となり、
ニューヨークはブルックリンにてワイン醸造を学びます。


やがて1875年にはカリフォルニア州サンタローザに移住。

この頃から「ハリスの弟子に日本人がいる・・・」との記述が各所に見られ、
ハリスの死後、サンタローザのワイナリーを継承して事業を拡大し、
『ファウンテングローブ・ワイナリー』を
カリフォルニア州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げました。



また、彼のワインは米国内のワインコンクールでも好成績を収め、
イギリスに輸出された最初の“カリフォルニアワイン”もこの「ナガサワ・ワイン」とされ、
ゆえに「カリフォルニアのワイン王」や「葡萄王」と称されました。





そんな“バロン鼎”は、1934年3月1日死去し、
現在、サンタローザのワイン博物館に記念コーナーが設置されています。

http://www7.ocn.ne.jp/~elfindog/nagasawa.htm




ちなみに、鼎は生涯独身を貫き、83歳で亡くなったのち、
ワイナリーは甥の伊地知共喜が引き継ぎ、
その一部は現在も『パラダイスリッジ・ワイナリー』として継承されていますが、
偶然にも由美ママは、鼎の姪の娘でもある親族の一人と語らうことができ、
日本から遥々の来園を喜んでいただきました。



そしてこの旅では「サムライから葡萄王へ・・・」転身した鼎の数奇な人生へと想いを馳せ、
遥か江戸時代に、この広大なアメリカに於いて、
”カリフォルニアワイン”を世界に広めた第一人者が居たことを、

同じ日本人、しかも薩摩人として大変誇らしく思うと同時に

単身異国の地で活躍した偉大な“侍・鼎”の功績を称えたく思いました!!!




銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイナリー由美ママ2

銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイナリー畑

銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイン 銀座由美ママの心意気-パラダイスリッジワイン2



のち、サンタローザ市は、2007年にこの鼎の功績を讃え、
彼のワイン醸造所と農園跡地に市民公園「Nagasawa Community Park」を造りました!




どうかサンフランシスコへ旅する機会がありましたら、

是非、サンタローザへ行き、江戸時代に異国の地で活躍したこんな日本人の軌跡を辿ってみて下さい・・・


*Paradise Ridge Winery; 4545 Thomas Lake Harris Drive; Santa Rosa; CA 95403

Tel 707-528-463