節分の夜で思い出すのは、三人吉三の大川端庚申塚の場でのお嬢吉三の科白ですね。
- 月も朧(おぼろ)に 白魚の
- 篝(かがり)も霞(かす)む 春の空
- 冷てえ風も ほろ酔いに
- 心持ちよく うかうかと
- 浮かれ烏(からす)の ただ一羽
- ねぐらへ帰る 川端で
- 竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)
- 思いがけなく 手に入る(いる)百両
- (舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!
- ほんに今夜は 節分か
- 西の海より 川の中
- 落ちた夜鷹は 厄落とし
- 豆だくさんに 一文の
- 銭と違って 金包み
- こいつぁ春から 縁起がいいわえ
非常に有名な科白ですが、この芝居は河竹黙阿弥の書いた非常に複雑な人間関係の狂言です。
ただ一つ言えるのはまさにお江戸の芝居ですので、この科白も江戸弁でテンポよく、粋に語らないといけません。
ですからやっぱり関西の役者にはやや苦手なものです。
一昔前、素人顔見世という興行が京都に在り、12月の南座の顔見世興行の次の日にその演目を素人だけで演じるというものでした。
芝居好きの旦那衆のお遊びのようなものですが、暮れの京都の風物詩ともなっておりました。
先代仁左衛門さんを始め、松島屋さん一門の人達が、芝居の合間に演技指導をを熱心にされていました
私の父は歌舞伎が大好きでこの会の常連でして、もう12月になると毎日南座に行って自分の役を見ておりました。
家でもお稽古に余念がないのですが、私が大学生だったころ、お嬢吉三を演じることとなり、この科白を毎晩風呂などで何度も何度も語っているのですが、どうしても京都弁のアクセントになってしまうのです。
最初の月はからして京都弁ですので、私が色々と注意したのですが、直りません。本番でもやっぱり京都弁の混じる科白でした。
江戸のベランメー調はその地に住まないと難しいでしょうが、最近浅草あたりでも聞けなくなりつつあります。
大都市は色々ところから人が移り住むので言葉がだんだん平準化してしまうということでしょうが、こういう芝居を見ると何かスカッとしますね。
勘三郎さんはこういうものの科白回しが小気味よかったですね。
いつも節分の夜になると死んだ父のお譲吉三を思い出しております。