国会議員にキモノを着てもらいたい | 銀座きものギャラリー泰三

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一度は袖を通したい着物がここにあります。きもの創作工房 (株)染の聚楽

通常国会初日にキモノを着て登院し、記念撮影をしようということが始まって、その人数は増えているようで喜ばしい反面、男性などはほとんどが貸衣裳の様です。

だから紋も同じで、もちろん着慣れていもいませんから、何かぎこちないですね。


そして、その日以降はキモノ等着もしないというのでは、まさにこの初日のイベントはコスプレのような感覚です。


いやしくも国会議員たるものは日本の国政を担うということのなかに、先人が築き上げてきた伝統文化をいかに維持継承していくかという仕事も含まれます。


にもかかわらずキモノだけではありませんが、そうした自覚を持つ者などほとんど皆無に近く、文化の話はしても、そのことに具体的に携わっている者などほとんどいないというのが現実です。


日本人としてのアイデンティティ(存在証明)を何で発揮するのかといえば、まさしくその歴史であり文化であることは疑いのないことですし、それは別に日本に限ったことではなく、すべての国がそうであるはずです。


ですから当然高位な地位を得たものは、そのことを強く意識して学ぶのが私に言わせれば当然でしょう。


キモノを着る行為というのもそうした伝統文化への関わりの一つであり、日本国の国会議員なら当然のごとく抵抗なく装ってほしいものです。


しかし昨今の社会情勢から見ても、特に若い人がそうした知識や、教養が無いということも否めません。


ですから誰かが教えていくべきなのです。


業界あげて国家議員に国会でキモノを普通に着てもらえるような運動をしたらどうかと思います。


特に海外からの要人がおいでになった時は夫人だけでなく、男性も和服で迎えるのが当然だという様な風潮、流れを国会議員が作って貰えないかと思っているのです。


そのために業界としても新人男性議員に黒紋付き袴のセットを贈呈するとか、何か動くべきではないかと思っています。


そういう発想が出ないというのが私は嘆かわしく思うのですがね。


文化というモノは高位なものが廃れると、低級化の一途をたどり自壊してしまいます。


庶民の憧れのごときものがなくなったら、いずれその文化そのものが消滅するのです。


ですからそうしたものを支える経済力や地位を持った人達の見識に、文化というモノの未来は委ねられているというのは歴史が証明するところです。


文化はモノ作りの連続の中に知恵が出て確信され継続されていきますし、そういう知恵を出す人や支える存在がなくなった時、後は消滅に向かってひた走ります。


キモノや帯のモノづくりはまさにそうした状況となりつつあり、レンタル比率が上がる一方なら、我々本物を作る者たちの存在価値は相対的に益々落ちていくことになるでしょう。


私の父が存命のころ、この業界の先行き、職人の後継者不足のことなどについて聞いてみたところ、心配しないでも、景気がよくなればまたいくらでも職人になりたいものが出てくると言っておりましたが、父にも今のような状況はさすがに読めなかったのでしょう。


昔の人は景気循環論的思想を持っているので、ちょっと我慢すればまたよくなるという自律的な回復に期待している向きが多く、これといった手を打たなかった人が多かったのは事実でしょう。


でも現実はそうならなかったのです。その結果、焦りから目先の売り上げ取りに走り、自らがその文化を貶める行為が続き、いまに至っています。


社会の背景が変わっただけでなく、自らの見識の無さが追い打ちをかけて、急激にそのモノづくりの危機を増大させています。


手遅れかどうかわかりませんが、良きモノづくりを残すためにもできる手は打ち、消費者への理解を深めるしかありません。


そのために国政も動いてもらえるよう運動していくべきでしょう。