早いもので、来週がくらま会本番となりました。
舞台の無事と成功を祈りに、先週、大阪四天王寺をお参りしました。
聖徳太子建立(およそ1400年前)の仏教寺院。
石鳥居の扁額には、
“釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心(釈迦如来が法を説く処であり、ここが西方極楽浄土の東門の中心)”とあり、
実に味わい深いです。
さて、今日『舞台』と聞くと、まず、劇場にある舞台を思い描きますが、
舞台の古い形は、
“清水の舞台から…”と広く云われていることからも分かるように、
神仏の前に設えた舞台が、第一義と言うべきでしょう。
娘道成寺の文句の中に、「そもそも舞の始まりは…」とありますが、そこでは、天岩戸の話しから始まります。
アメノウズメが、天岩戸の前で、伏せた槽(ウケ)を踏み鳴らし、裸踊りを披露した神話です。
つまり、日本において、舞台の上での“うた”や“まひ”は、神々へ向けて行われたのが始まりということに。
(古代より日本は、大陸との文化の往き来がありましたし、それだけでなく、さらに多方面から考えなければならないことですので、不勉強故、大変ザックリな内容になりますが、)
まず、“俳優”という言葉から考えます。
この漢字熟語を、やまとことばに直して考える必要がありそうです。
すると、“俳”も“優”も“わざをぎ”になります。
“わざ”は、神意の込められた所作。
“をぎ”は、をぐ(招く)ことを意味します。
つまり、何かを招くために特別な行為をするわけですが、では、一体何を招くのか。
“神降ろし”という言葉からも分かるように、
神仏や霊魂を舞台に招くのでしょう。
厳島神社や、住吉大社などの舞台が、境内(聖地)にあることからも、そのことが分かると思います。
現在の四天王寺の石舞台。
大阪材木商により組織された“舞臺講”により、文化五1808年再建。
舞台は最澄創建の六時礼讃堂の向かい、つまり薬師如来(本尊)の御前にあります。
舞台の向こうには、御供所を挟んで、大陸系の楽舞を担当する左方の楽舎と、朝鮮半島系の楽舞を担当する右方の楽舎があります。
このような位置関係。
左方楽舎の平瓦には《樂》の字と、丸瓦には左方を意味する三巴が見えます。(右方は二巴。)
瓦を見ただけで、音楽が聞こえるような、そんな空間です。
(清水の舞台は千手観音菩薩の御前にあり、舞台脇には、やはり楽舎があります。)
この楽舎が、のちに我々が使う“楽屋”という言葉になりました。
今日、『楽屋』と言えば、休息所を指し示す場合が多いですが、
元々は奏楽所であり、大切な楽器を置いたところでした。
舞台の上に上がる人には、実に大切な役割があり、まさに“わざ”を身につけた人が上がるところ、ということになります。
(中でも古い厳島神社の平舞台は、安元二年(1176年)、千僧供養が行われた記録があります。僧侶による法要は舞台の上で行われました。比叡山(大原三千院)などは、今で云う、音楽大学のような一面もあったわけで、かつては大勢の僧侶が、修行の手段として、大変高度な音楽を習得していました。)
では、今の『舞台』という言葉の感覚は、いつ頃からか?
中世(伎楽や猿楽…等)を、バッサリ割愛しまして、いきなり近世まで下ります。
今からおよそ四百年前、出雲阿国が男装をして踊った話しは有名です。
しかし、彼女は、“わざをぎ”として、神仏の前で踊った訳ではありません。
むしろ、伝統を拒否し、当時のかぶき者を真似て踊るという、異風異相の新しい舞台を作ったわけです。
しかし、それだと諸事、不都合があるので、“勧進という方便”で、庶民の前で踊りました。
ここが、現在の日本の古典の舞台を考える際の、重要なポイントだと思っています。
舞台の上での歌舞音曲は、“方便なんだ”ということです。
ですから、元来の姿を忘れては、方便になりません。
例えば、『浄瑠璃節』も、薬師如来(薬師瑠璃光如来)の東方浄瑠璃浄土が、その名の由来。
元々は、薬師如来の霊験譚などを語り、仏の功徳を説いた芸能でありました。
法華経にも『若持法華経 其身甚清浄 如彼浄瑠璃 衆生皆憙見(法華経を大切にしたならば、その身は甚だ清浄、浄らかな瑠璃のようであり、命あるものすべてが見たいと憙(ねが)う)』とあります。
何故、浄瑠璃節を“語りもの”と云うのか、それを忘れてしまっては、“方便”であることも分からなくなってしまうというものです。
また、“稽古”という言葉からも分かるように、(“稽”は、考えに考えを重ね、いくつくところまで考えること)
古典の稽古は、まるでお寺の修行のようですが、師資相承(師匠から弟子へ伝わっていく)が原則。
たとえ舞台の上では“俗の世界”を演じても、
稽古の際は、必ず白い足袋を履くのは、
“舞台の上は方便だから”と説明すると、納得がいくように思います。
“わざをぎ”が活躍した神代の時代から数千年が経過し、
様々な舞踊、或いは、浄瑠璃節、唄…、と、様々に枝分かれしましたが、
芸の血脈(けちみゃく)に属するものであれば、堂宇の落慶式などの際に、神仏の前で披露することが出来るのは、
“方便”だからであって、
“元来の姿を忘れている訳ではない”ということではないでしょうか。
別の角度(お客様の視点)から考えますと、
その姿勢(哲学)は目に見えるものではありませんから、「古典の舞台の味わいは特別なのだ」と、改めて思い…、
襟を正して帰宅しました。