いせよし先祖の作品公開でした@奈良国立博物館 | 銀座スタイルのブログ

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ギリギリ行かれた奈良国立博物館。自分のおじいさん達に会いに行く様なワクワク、ドキドキ、恥ずかしい気持ちもありながらの無事到着、入り口から感無量でした 。今回は私のひいおじさんにあたる木内省古さん、その父、木内半古さん、その父、(実際は叔父)の木内喜八さん、の三人展でした。(伊勢由の後の二代目千谷由太郎 が半古さんと兄弟です) 作品の中には上野国立博物館勤務だった息子、木内武男さん著(http://www.amazon.co.jp/dp/4876017506) の白黒写真でしか拝見しなかった作品もあり、カラーの実物が見られたのは、本当に 嬉しいことでした。木肌を生かした作品は、現在でも木の生命力が伝わり、残したスケッチには、その場で孫に描いているような温かみを感じました

喜八さんは黒船でペリーが来航した時に幕府の命により六連発銃を作ったり、佛師、船大工でもあり、人物の奇抜さから物語の主人公にもなりました。半古さん、省古さんは正倉院御物の修復、模倣、撥鏤(ばちる)(*表面を染色した象牙に文様を施したもの。彫った部分が白く表される。中国、唐代に盛行し、日本には奈良時代に伝えられた。)製作も手がける、木画士でした。木画とは木地に木、貝、金、石、などをはめ込み(象嵌し)柄にしていきます。時代劇で平清盛が双六で遊ぶ場面の、双六台などは画像などで、ご覧頂いたことはあるでしょうか?時々上野の国立博物館でも見られますが、奈良の正倉院展でも時々公開されます。

木画は今はほとんど絶えてしまった技法です。それもそのはず、例えば緑色を表すためには、錆びた緑青の中に15年から20年は漬けておかないと、色が定着しないとのことです。神社の式年造替など意味深いものですが、技法は継承しない限りは絶えてしまいます。私には こんな先祖のDNAもあり、絶滅危惧種の和服(プリントや海外製の、偽和服はたくさんあります)の存続に心を入れる毎日です。

先祖は正倉院御物に関わり、奈良に足しげく通ったようですが、私も血筋に恥じることのないように、努めないといけないと感じる訪奈良でした。