「和竿職人の生活」を書かれた東作さんは、「銀座東作」というお店を開いておられます。
お店の場所は、銀座ではなく、浜松町です。鮒竿やたなご竿が購入できます。
Websiteを開設されています。こちらからご覧ください。

「江戸和竿職人の生活」から


「江戸前の伝統的な釣りっていうのは、本来季節感を大切にするんです。自然にはさからえないから、その移ろいの風流を楽しみとして取り込もうじゃないかっていうことでしょう。そんなわけで、ひとりの釣り人が、いろんな種類の釣りをやるんで竿師という仕事も成り立つんですよ。」


そして、春になると忙しくなると季節ごとの話へ


「三月に入って外が春めいてくると、だんだん忙しくなってくる。

まず鮎竿です。これは仕事としていちばん大きかったですね。竿の中では、もっとも長くて、しかも軽さを要求される。いい材料を使わないといけないから、単価も高い。戦前の鮎竿っていうのは、毛鈎で釣る「どぶ竿」のことですが、この人気というのが、また高くて、竿は五月の初めのころまでに仕上がっていないと、商戦に間に合いません。お客は、六月の解禁を待ちきれないんです。」


まだ、鮎は釣ったことがないので、その当時の鮎竿に興味津津というところです。


<鮎毛鈎について>

江戸時代から、毛鈎は、様々な名前で呼ばれたようです。


蠅頭(はえがしら)

菜種針(なたねばり)

蚊頭(かがしら)

蜂頭(はちがしら)

蚊針(かばり)

蚊鉤(かかぎ)

毛鈎(けばり)

などです。


やはり、淡水魚釣りという意味では、鮎釣りも京都が先行していたようです。

毛鈎自体の記録は、

一説には、延宝六年(1678年)に「蠅頭(はえがしら)」と言う針を京都の伊右衛門が売り出したことが書かれた「京雀跡追」が最も古い記録のようです。当時、京都でハス(オイカワ、関東ではヤマベと呼ばれる)やハヤ(ウグイ)の釣り用の針として使われた「蠅頭」は、年代とともに鮎を釣るのに用いられるようになりました。仕掛けとして、注目されたのは、文政年間(1818~1830年頃)に京都・みすや針の永原屋茂八が「菜種鈎」(なたねばり)を売り出して、良く釣れると評判になった以降のことのようです。


最近、柳澤信鴻の「宴遊日記」をぱらぱらと読んでいる。と突然に自分の老後のイメージが頭に浮かんでくることがある。

庭で、芽を出した土筆などを眺めて、誰に贈ろうかなどと考えている老後の自分のイメージがそれ。


しかし、毎日日記をつける、しかも何年にもわたって、という点では、この御隠居のまねは、到底できない。という気がする。

このブログにしても、毎日あったことを淡々と語るように書きとめる

というのは、できそうもない。



何か、自分を少し離れた場所から、観察しているような感覚なのだろうか・・・

今の私には、良く理解できない。自分が二人いるようなことなのかもしれない。


「江戸和竿職人の生活」から

江戸の職人の存在というもの自体が、本来、江戸に幕府が開かれ、大名たちがそこに生活の拠点(大名屋敷住まい)を置いたことで、それに引き寄せられる形で職人や商人が江戸に集まってきたことを背景にしている。


当然、職人技術のルーツは、関西や京都ということになってくる。この本でも東作自体がそのことを理解し、以下のように言っている


「花のお江戸だなんて威張っても、実際は幕府が開かれるまではほとんど何もなかった土地で、文化ということでは、京都のお公家さんたちのほうが長いわけですよ。なしにろ、千数百年だ。それこそ、いろんな美術工芸の技術が、長い年月の間に花開き、成熟している。

竹をあぶって矯める竿師の技術というのは、方法も使う道具も基本的には矢師と同じで、もともとの発想も矢矧ぎから生まれたんだっていわれています。(中略)


今も京都には和竿の職人がいて、笛巻きなんていって、ところどころに飾り糸を巻いた、ずいぶんきれいな仕上げをしてあります。ある意味で、江戸和竿と好一対をなす、これも忘れないでほしい日本の釣り文化ですな。」


文献的にも、取り上げて、

「明和新増京羽二重大全」にある釣竿師の記述が書かれています。それには、

“入子釣竿師 東洞院五条下ル街 平野や四郎右衛門”

という竿師について書かれているようです。

現在、京都にある京竿の工房の「竿伊」は、文政八年の創業だそうですが、それ以前から当然、竿職人はいたようです。

関西、京都でどんな大名や公家が釣りに興じていたのでしょう?

そうそう、島津家久がいましたね。釣り好き大名の代名詞となっている感がありますね。やはり京都は淡水魚でしょうから、それに向いた竿がつくられていたようです。江戸は、海釣りもあり、その辺が異なる点でしょう。

ぜひ、京都の竿師や竿についても知りたいものです。次回はその辺を調べてみようと思います。

一応、京都を訪ねる方のために竿伊の情報を書いておきます。


竿伊:上京区大宮寺之内上ル Tel:075-431-1718 市バス「堀川寺ノ内」下車徒歩2分


<鮎竿例>


銀座楼-鮎竿:竿伊作

竿伊作(西村博三郎)銘「玉」(上の写真を参照)

仕舞寸法:143cm、長さ:5.6m、尻足し:1.25m

重量:本体430g、尻足し190g
継ぎ数:5本(穂、尻足別)


夢枕獏さんのこの「大江戸釣客伝」は、何羨録の著者が主人公ということは、本屋で見て知っていたのですが、この本を読むのは、和竿の話を読んだ後にしようか、それとも前にしようか・・・

悩んでいるところなのです。


上下巻の内容は、宣伝文句によると

<上巻>
現存する我が国最古の釣り指南書『何羨録』を著した津軽采女を中心に描く、釣りに憑かれた人々の活躍!
元禄の世の釣り勝負の妙、名人の業。絵師朝湖と俳人其角が釣り上げた土左衛門の正体は!?
<下巻>
絵師朝湖は三宅島へ島流しとなり、江戸では支援の秘策が練られる。赤穂浪士の討ち入り、大地震による火災、津波……と世間が騒がしいなか、釣り人たちの運命は!?

ということのようです。



銀座楼-大江戸釣客伝上巻 銀座楼-大江戸釣客伝下巻

まあ、話の内容としては、和竿と関係ないといえば、関係ないのですが、多分アオギス釣りの話なんかはでてくるのだろうと予想はしているのです。


まあ、もう少し待ってから、読むことにします。