去年も同様の題で書いていますが
八月一日を八朔といいます
おついたちを朔日と書いたりしますね。
京都では、舞妓さんらがご挨拶に暑いなか 回っている姿がニュースでも取り上げられていますが
東京は新吉原では(時代違うけど)
この日に遊女らが白無垢を着ました
浮世絵にも残っています
今は白無垢を作る方は少なく
殆どが借ります
しかし遊女らは毎年作り毎年着ていたのです
そもそも吉原では、一夜妻という設定で遊びますから(高級遊女)
盃事も3回はしますし、それは3回通うということ
白無垢も自分で誂えるのではなく、旦那さんに誂えてもらうわけです
毎年ですから大変な金額ですね
去年のはどうしたのか?というと
その年に着たらすぐに質屋に出してお金にしたそう
まるでバブル期のティファニー、オープン♡を思い出すよう・・・・
新吉原、八朔の話を想いだすと
当時 本当の意味での白無垢を着たいなあ
と思う人は多いのでは?と想像します
白無垢は生涯一度でいい
それは昔も今も変わらないですね
そして着ているだけでは意味がない
挙式をするからそれにふさわしい衣装が白無垢であって
白無垢を着て写真を撮りたいから着る
というのでは意味がない
何の為のものなのか
そこを考えないといつの世もいけないのではないでしょうか
年中行事は知れば知るほどオモシロイ