先日、早生まれのお子さんに関するご相談をいただきました。
このお悩み、もっと前にインスタの投稿にいただいたご質問
「スクールカウンセラーの先生が言う『集団生活では、平均的な能力の子が1番幸せ』ってどういうこと?」
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ぎん太は春生まれの大きな子にいつも「喋り方が赤ちゃんっぽい」とか「髪型が変」と言ってはからかわれ、視界に入ると楽しそうに暴力を振るわれました。獲物みたいでした。
意地悪な子じゃなくても「ぎん太はルールわかってくれないから」と遊んでもらえなかったりしました。
「僕だけできない」
とよく言っていました。幼児なので勉強は分かりませんが、幼稚園でやったカルタは取れないし、運動も、遊びも遅れていました。
1つ下の学年に入れてくれればちょうど良いのに…と思ったことが何度もあります。
対して次男コン次郎は、何でもできました。
ぎん太とは逆に、できることをやらされる苦しみを味わい、退屈し、それはそれは辛い日々を過ごしました。
1〜2学年上の授業が受けられたらどんなに良いかと何度も思いましたし、先生にもそう言われました。
「その集団で平均的な子たちが1番幸せ」
というのはそういう意味です。
どっちも経験して私が思うのは、
できる子とできない子だったら、できない子の方が伸びる
ということです。
このことに関して、真逆のデータがある事は知っています。
納得もしています。
でも、それは普通に過ごしていたら…の統計だと思っています。
私はぎん太ができる側の子だったら、そこまで熱心にぎん太の世話をしていないと思います。
ぎん太が哀れで、「何とか周囲の子にいじめられないようにしたい」という一念で頑張りました。
ぎん太もそういう気持ちがあったと思います。
コン次郎には習い事は1つだけでしたが、ぎん太にはたくさんやらせてあげました。
習い事の他にも
「僕だけブランコが漕げない」「竹馬ができない」「補助なしの自転車に乗れない」と言われれば公園へ行きました。
でも無理はさせすぎないように…と楽しくやる事を心がけたのは、勉強と同じです。
(勉強は概ね書籍にあるような感じです。頑張りました。)
幼稚園の頃は大差がありましたが、工夫と努力でその差はどうにかなります。ぎん太も追いつきました。
「できる子」は、「何とかして周囲に追いつこう」とした経験が少ないはず。
(次男はそうです。無益な時間を過ごした幼稚園、小学生時代でした)
必死になっている時間の長さ、努力の量を比較したら、追う立場の方が良い…と私は感じています。
何かで表彰されたり、選手や代表に選ばれるような「得する経験」「勝つ経験」は、できる子の方が多いから一見得ですけど、その場限りのことではないか。
同級生と比べて、ではなく、その子個人の伸びだけを見たら、発達が遅い子の方が得ではないか…というのが私個人の考えです。
ちなみに三男は平均的です。
性格は、できないとすぐ自信とやる気を失うタイプ。
もっと身体が強く賢ければ、色々な場面で周囲に勝ち、さらにやる気を出して頑張ると思います。
でも周りに追いつこう、追い越そうとする経験、負ける経験も大切です。
やる気を失ったとき、それを自分でプラスの力に変えていけるようになっていってほしいので、前向きに働きかけていこうと気をつけています。
ちなみにぎん太は今、とっても幸せそうです
辛かったことも、笑って話せています。
手をかけてあげて、前向きに生きていけるように接してあげ続けていれば、成長して大人同士になってからも良い関係でいられる気がしています。
ももさんさんとお子さんも、大丈夫だと思います!