次男の七夕の短冊が可愛いくて、長年飾ってありました。
小さい頃は
「かぞくが元気になかよくくらせますように」
幼稚園の年長くらいから
「家族とクラスのみんなが幸せに暮らせますように」
と幸せを願う人数が増えていき、
3年生の頃
「世界から戦争がなくなりますように」
と、ついに全人類の幸せを願い始めました。
その頃読んだ本も影響していたと思います。
ぎん太が昔
「教科書にしちゃえば良いのにね」
と言った本です。
時間とはなんなのか。
この本を読んでから
「今日は、あなたは少しでも他人のために自分の時間を使った?」
と子供に問いかけるようになりました。
自分自身にもです。
ぎん太は中学生の頃
「今は医者になるって思ってないよ。医者なんて儲からないじゃん」
と言い出したことがあります。
「でも、開成はリーダーを教育する学校でしょ?みんな『勉強したことをどうやって社会の役に立てるか』って考えて勉強してるんでしょ?」
と私が聞くと、
「そんな奴いねーよ。みんな自分が得したいから勉強するんだよ」
と言うので、とても残念に思ったことがあります。
ゲーム依存から脱して、授業を真剣に聴くようになると
「やっぱ開成の授業って面白い」
と言い、また勉強を楽しいと感じるようになって
「お金を必要以上に儲けることよりも、興味があることを勉強して、それを、自分の力を、他人のために使いたい」
と思うようになったようです。
とても嬉しいです。
好きな人がたくさんできて、その人たちが幸せになるのを見守ることが、幸せになる方法なんじゃないかな、と私は思っているので、
ぎん太にはこれからたくさんの人と関わって、幸せにして、幸せになって欲しいと思います。
「どうしたら子供が勉強を嫌がらなくなりますか?」
というご質問を最近いただいて、「これ!」という1つの方法はなく、たくさんの働きかけがあると思いますが、その中の1つに
「世界の子供たちの現状や、歴史を教えること」
が良かったかな、と思います。
長男と次男が勉強することを当然と思うのは、この世の不平等を知ったことが大きかったと思います。
「ノブレスオブリージュ」
という言葉がありますが、なにも貴族やお金持ちが貧しい人々に施しを…ということではなく、
健康で、勉強ができる環境にあって、毎日お腹いっぱいご飯が食べられる幸せを知り、
「この幸せを、そうでない人たちに返そう」
という気持ちを持つことが大切ではないかなと、私と子供たちは考えています。
人は、自分のためには頑張れなくても、他人のためになら力を出せたりします。
理不尽なこの世界に対する怒りも、力になるのではないかと思います。
幼い頃から、子供には世の中の辛い現実を教えるべきかなと。
私の個人的な考えですが。
冒頭でご紹介した「十歳のきみへ」は、
いじめられているときも勇気づけられました。
ポンちゃんにも、そろそろ読んであげようかな…