いい加減で影響力の殆どない店舗案内ばかり書いていると「ここ一番」でモノが書けなくなります。書いている時はあっさりとわかりやすくということだけを考え書いていますが大した効果は出ていません。その原因を営業案内や店舗案内の責任にするよりも自身の力の無さを認識すべきなのだと思いますが簡単に比を認めるのも・・。そう言えば作家の田辺聖子さんは題材の有無に関係なく「毎日、机の前に座り物事を書くのです」と記されています。そうなのです。そういった理由で私は面白くもない感想文に近い文書を書いています。きっと活字を生業にしている方からすると程度の低い文章をいつも書いているという思いなのではないでしょうか。

 

世間の皆様にとっては本当につまらい内容で読み進むうちに腹の立つ文章なのですが、それはそれで何となく「ここ一番」では役に立っています。このように毎日色々な事を走り書き程度の内容で書いていると長時間かかる本番の活字仕事が早く終わるのです。やはり慣れもあり構成が整い抑揚が活字の中で生まれます。

 

そういえば、つまらない文章の話をしていると幼少の頃の出来事を思い出しました。時は小学4年生の私は学級委員長でした。その日は父兄参観の日だったのですが外は雨。その父兄参観の出し物というか課題は私の作文をクラスの生徒全員で添削し修正を行うというものでした。当日は母親も参観に来ていたと思うのですが確かな記憶はありません。その時の私の気持ちは複雑でとにかく暴れたかった・・。もしも学級委員長でなければ出来ない生徒として仕方がない・・と諦めていたのだと思うのですが、よりによって任期中に何というテーマなのか・・・と怒りが収まりませんでした。

 

ただ、他にも長く生きていると何度となく恥をかかされる場面に遭遇しており思い出すと怒りがこみ上げてきますが小学4年生のこの出来事が人生初の見世物扱いされた経験で腹立たしい黒歴史でした。それでもモノを書き続けていると褒められることもあり例え出来が悪くても辞める気にはなれないのです。

 

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