俺、負けないよ | KOUCHINNのブログ

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介護員の育成をしてきましたが、受講生が集まらなくなり一時的に事業を中断しました。少人数での開講を何度か実施したことで債務も蓄積してしまったので、これから復活に向けて頑張ります。

 俺は今、自分を試しているのだと思う。


 その題材がたまたま「桜田門外ノ変を応援する事」であり、映画化支援の会さん達から見ても、俺が利益のない、この商品をここまで執着して販売している事にまだ理解ができない状態かも知れない。


 でも決めたんだ。

特に歴史が好きだったワケでも、映画が好きだったワケでもない。


 これは出会いなんだ。

無理に「これを頑張ってみよう」なんて、しかも安易に決意したのではない。


「頑張ってみよう」なんて今日まで一度も思った事ない。

「気がついたら夢中で自転車を漕いでいる自分がいる」だけ。




 出会いであり、運命なのだと思う。

廻った先の業者さんには、「利益が無いなんて、それじゃあなたは何がメリットではじめたのですか?」

と聞かれた。


「まあ、商品の台紙にウチの店名が入っていますので、まだ始まったばかりの事業でもありますし、ちょっとは宣伝にはなるかと思います」


なんて答えているが、





ホントは違う。






もちろんメリットなんて探せばいくらでも出てくる。

でも違う。



本音は

「メリットなきゃ、やっちゃダメなのかよ!」

だ。


5000円で仕入れた商品に1万円の値札付けて、お客さんに「通常1万円なのですが、お客様の為にお客様には特別に完全赤字の7000円で提供させていただきます!」

って、商品を売って利益を出すだけが商売なのかよ!


 俺は前の職で特攻隊に出会った。もちろん本の中でだが。

日本人の本当の姿を知っている。

本当の優しさを知っている。


 日本の若者も勉強よりアルバイトが好きだ。

カラダまで売るコもいる。

 でもそのお金で何がしたいのかと聞けば「旅行に行きたい」「プラダのバッグが欲しい」。


 日本に出稼ぎに来ている外国人は母国の両親に送金している。法をかいくぐってまで、侵してまで“とおちゃん”と“かあちゃん”にカネを送る。

 

「・・・外国人は家族想い」!?


 違うだろ?


 そんな気持ちは、日本人こそが一番持っていたものだ。


 家族や故郷を、恩師を米兵に好き放題されたくなくて命を捨てたのだ。

十代、二十代の男のコ達だ。

 今生きていれば八十代、九十代。

守るべきもののために、生還できない突入。


 彼らはそれで良かったのだ。

今の世代が持たない「大きな目標」を持っていた。


俺が犠牲になれば、みんなが助かるかも・・・。


 実現できるかどうかよりも、実現するために命をかけた。


 実力よりも結果よりも“心と臨む姿勢”。

武道でも大切にされていること。

日本の南に「パラオ」という小さな国がある。

インターネットですぐに出てくるが、国旗は日本と同じ「日の丸」。

ただし色違いで日が中央ではなくズレている。


なぜ、「日の丸」なのか。


パラオも大戦中は日本軍が占領していた。

特攻隊の事も良く知っている。

そして彼らは今でも日本人を尊敬している。


何に尊敬しているのか?

「愛する両親や故郷のために、国を救う一心で命を捨てていったこと」

・・・たくさんの特攻隊の面々を日本人よりも間近で見てきた。


 特攻隊員達によく遊んでもらった現地の子供たちも、もう相当な年齢だろう。

特攻隊員達は、特攻の命令が下って死が確定してからも、出撃の直前だって現地の子供達に日本の遊びを教えた。

明るい表情で子供達と戯れ、遊んであげた。

 だからこの国には、日本語が話せる人は珍しくない。日本の歌も歌えるし、お手玉もかくれんぼもできる。


 パラオの日の丸は、「日本のような立派な国になりたいから」。

日がズレているのは、「日本に失礼だから」。


実話だ。

 以前の職場で、安全会議という、定期的な教育の機会があり、本題は交通安全や日頃の作業安全について教育したり、意見を交換したりする場なのだが、みんなが集う機会として他にもいろいろな教育や考える場として、作業を中断して話し合いをする。

 そこで搭乗員の方が披露した話だった。

みんながポカーンと聞く中、俺は声を上げて泣きたいくらい感激したし、ショッキングだった。

 その後もそれについてネットで探したりしてもっと情報を探した。


 また、フィリピンも特攻隊の出発していった土地の一つ。

今でも特攻の記念碑がある。


 この記念碑、草に埋もれずにキレイに保たれている。



 日本人が行って草刈りをしているのではない。


 当時、お手玉などを教えてもらい、一緒に遊んでくれた、優しさを与えてくれた、特攻隊員達に格別の想いを持つ現地のフィリピン人達が代々ずっと手入れをしているのだ。


 日本では「戦争はイケナイこと」という一元的なくくりだけで教育がされているだけに、特攻隊について知ろうとする人はいなくなった。

 もう草刈りに出かける日本人も出ては来まい。

銀作が軌道に乗ったら、草刈りに出かけようと思っている。


 もちろん、イケナイことだよ。戦争は。

でも、何があったのか、どんな様子だったのか、何を学ぶべきか。

それをバイパスしちゃ、ダメなんだよ


 日本人の、俺たちの本当の姿。


数字上の利益、生活、豊かな暮らし・・・・


 そんなもので麻痺してしまっている“本当は素晴らしいこの国”。


 目を覚ますのは遅くない。

でも、誰かが言い出さないと始まらない。


 「桜田門外ノ変」を応援する俺の本当の気持ちはこんな考えが根っこにある。


「みんなで茨城を盛り上げよう!」は桜田門外ノ変にあわせた仮の言葉。

本当は「茨城」ではなく「日本」だ。


「景気を良くしよう!街に活気を取り戻そう!」は

本当は「失われつつある誇るべき日本をみんなで取り戻そう!」と言いたいのだ。



 俺の子供の頃の通信簿は実家に保管されてるが、どの先生からも書かれていることは

「リーダーシップ」

「創意工夫」


 先生って良く見てる。たくさんの子供達がいるのに・・・。


 今自分の通って来た道を振り返っても自衛官だった時間を除けば、そのままだ。

そして子供の頃は、リーダーシップをとって、みんなの先頭に立ち、みんなを引き連れて間違えた方向に進んだ事も多い。

 子供の頃だから許された事ばかりだけど、37歳の今は違う。


 そして桜田門外ノ変ケータイクリーナーを通して、協力してくれる人たちが次々と現れ、またあの頃のようにリーダーシップが試される流れを、知らずのうちに自分で作ってきた。


 米空軍のアクロバットチームは、横一列でのループ(宙返り)でリーダー機が高度の計算を間違えた事で、そのまま全機が垂直に地面に激突し、全機が金属片となり全員が肉片になった。


 特にそうしたいと思っていなくても、いつもリーダー格。

でも、それは運命なのだろう。

俺の人生に欠かせないものなのだろう。

そしてその責任は自覚しなければならない(し、自覚できる者でありたい)。


 もちろん商品が売れ、映画にたくさん寄付できる事が目標ではある。

しかし、「商品が売れた」という結果よりも、ついてきてくれた人たちが、「ついていって良かった」という結果を追求したい。


「出る杭は打たれる」と言われるように、人と違った事をすれば攻撃も受ける。

それは人からというより、起こる出来事から攻撃を受ける。

 何かアクションを起こせば、それを阻む障害が出てくる。

でも出ていかなければ挑戦はできない。


 したい事を形にできた人達は皆飛び出て実現している。

形になるまでは、今俺が経験しているような境遇などを越えて進んで来たハズ。

 受け入れられるまでは白い目で見られても、「いつかきっと」を失わなければ乗り越える事ができる。


 運命に試されはじめたかのように、クルマが壊れたり、ガラスケースを割ってしまったり、ネットショップで別のものを送ってしまったり・・・小さな災難(笑)が俺をおそってきているかのようだ。

 まったくヒマが無いというのに次から次へと発生する。

 小さな災難でも10も20も重なれば、パンク寸前だ(爆)。

「日本頑張れ!茨城頑張れ!」とビッグスケールな事言いながら、「クルマが故障したくらいで手を焼いている」現状


 でも、負けないぞ!

小さな災難がまとまって、それが大きな負荷になるなら、それらを一つずつ乗り越えて小さな免疫を得る事ができるなら、まとまれば大きな何かが見つかるはずだ。