「自信」とはなにか…
これについて、とても納得のいく答えがあったのでまとめてみます。
最近読んだ、西村宏堂さんの
私が好きな私で生きていいんだ
正々堂々
この本を読むまでの、私の答えは
「自信」は「自分を信じてること!」
ってそのままやん(笑)
て感じですが、正直、今まで自信の付け方については必死に色々考えたことがあるけど、自信そのものの正体については深く考えたことがなかった。
自分がなにかに対して、一生懸命努力をしたときに、その努力に伴ってついてくるもの=それが自信である!、とか…
子供を認めて褒めてあげて、ついてくるものが自信である、とか…
改めて、自信てなに?って考えたとき
え、なんだっけ
ってなってしまった。
どうりで、自信をつけるって難しいはずだ!
何だか分からないものを自分に身に付けるとか、子供にもたせるとか、無理でしょ(笑)
西村宏堂さんによれば…
「自信=能力があること」ではなく
「自信=自分がどんな人間なのかを知っていること」だといっています。
自分のできること、できないことを知っていて、それを信じていること、だと。
正直はじめは、え?どういうこと?って思いました。
何だか難しくて、この意味がすぐには理解できませんでした。でも、すごく重要なことを言っているとは強く感じました。だから、この意味を理解したいと思い必死に考えました。
「自信=ただ能力があること」はなんだか違うということは分かります。自分がその能力や知識に対しての自信をもっていても、自分より秀でている人に出会ったら、いとも簡単にその自信は崩れてしまうからです。
じゃあ、自分を知っていることが、なぜ自信なのか…
考えて考えて、だんだん理解ができ、そして納得がいきました。
ここからは私の考えた解釈です。
自分の苦手なことや得意なことを知っていること、理解していることって、すごく強いと分かったんです。特に、自分の苦手なことを知っていることって、実はものすごく大切!
自分の苦手なことを理解するということは、それを分析し「じゃあ、どうすればいいのか」を理解してその対策を考えていくこと。
それが生きていく力に繋がるからです。
「私はこれが苦手だけど、でもこうすれば大丈夫!」それが分かると、なんだか強く生きていけるのが分かります。
自分のことを知らないということは…
「自分が何が苦手で、何が得意なのか分からない…何が好きなのかも分からない…だから何をすればいいのか分からない…やりたいことも分からない」という状態。
読んでるだけで自信の無さや不安な気持ちが伝わってきます。でも、これってよく聞く言葉。
それに対し…
「私はこれが好き(得意)で、これが苦手なの!だから、私の好き(得意)なこれをどんどんやっていきたいし、苦手なことに対しては、こうしていけばいいと思う!そうすればなんとかなると思うんだよね!」
そういうと、まさに
みなぎる自信と生きるパワーに満ち溢れてる感じがします。
私はよく小さな失敗をたくさんします。うっかりミスや思い込み、昔からそんなことがすごく多いのです。
その度に自信がなくなります。私に今の仕事は向いてないと落ち込みます
でも、インシデントレポートを(渋々)書きながら、なぜそのミスが起こったのか、どうすればそれを防げるのかを客観的に考えているうちに…
「そうか!原因はこれだから、これからはこういうことに気を付ければ同じミスを繰り返さずにすむんだ!」とはっきりしてくるんです。今回この本を読んでそれに気が付いたとき、インシデントレポートって、何て素晴らしいものなんだ!と気が付きました。毎回レポートと向き合う度に落ち込むし、こんなレポートをいちいち書かないといけない仕事であることを恨めしく思うこともあります。
インシデントレポートを書くことは正直苦しいです。なぜなら自分の「ダメな部分」と向き合わないといけないから…。でも、書き上げるとなんだかスッキリするのも事実。それは自分のなにが問題でこれからどうすればそれが防げるかを、明確にできるからだったんですね。レポートを書きあげることで、また仕事をするための力が沸いてくる気がしたのも、そのためのような気がします。インシデントレポートの役割は、ミスを明らかにしてみんなで共有することで、みんなも同じミスをしないように気を付けることだとは理解していましたが、今回もう1つ別の大きな意味に気が付きました。
(今度からはもっと前向きに書いてみよういやその前にミスしないようにしようw)
話しは少し逸れましたが、自分ができないから、苦手なことがあるから、能力がないから自信がないのではなく、その苦手さの正体がはっきりせず、どうしていいのか分からないから不安なのであり、ただ漠然と「自分はダメな人間だ」と感じることが自信の無さなのです。だから、その苦手さをはっきりとさせ、どうしたらうまくいくのかを考えていくことができれば、それが自信となっていくのです。同じ様に、「得意なことや好きなことがよく分からない=自分のことがよく分からない=自信がない」という方程式もとてもよく分かります。
苦手なことも、得意なことも、好きなことも、嫌いなことも、全ての人に同じ様に存在します。
自信があるかないかは、その能力の有る無しではなく、もちろんその能力の高さや低さでもない!
好きなことも嫌いなことも、得意なことも苦手なことも、全部引っくるめて
「自分のことを知ってるかどうか」
なんですね!
そして、自分を知るということは
他者との違いも見つけられるということ。
唯一無二の、人とは違う自分の魅力にも気が付けるということ。
そうすれば、自分が得意なことと同じことが自分よりもっと得意な人が目の前に現れたとしても、
「あの人の方が自分より上手かも…でも、自分はあの人とはこんなところが違うから、同じじゃない!私にはまたこんな違う良さがあるんだよね!だから比べられない!自分もすごい!」
とその自信を揺るがされることもありません。
これが私の考えた、西村さんのいう「自信」の解釈です。
だから、場面緘黙の子に、まずはこう伝えてあげたらいいんだと思います。
「話すのが苦手」って自分で分かってるということは、それだけでもう、とても素晴らしいことなんだよ。
生きていく力をつけていくには、自分のことを知ってるって、すごく大切な第一歩なんだよ。
それがあなたはもうできてるんだよね。心配しなくても、これから少しずつ「自分は話すの苦手だけど、こうしてくといいかな、こうするといいかな」って考えていくことで、ちゃんと生きていく力をつけていくことができるんだよ。「話すことが苦手だな」ってちゃんと自分のことを理解してあげられてるあなたは、それだけでもうすごいことなの!
こんな声掛け、とっても素敵だと思いませんか?
どうすればいいのか、何をすればいいのか分からない、これって本当に不安なこと。
問題は解決しなくても「見通しが立つ」ことで、心がすごくスッキリして、なんだか前を向ける、自信をもてる。自分を知ることって、その第一歩なんだ!
子供に「自信をつけてあげましょう」ってよくいうけど、それってすごく難しかった。どうしてこんなに難しいのか、その原因を考えたとき、1つの答えが見つかりました。
「自信」て正体不明
自信て一体なんなの?
それがはっきりしないから、それを子供に与えることが難しかったんだ!
人間が苦しいときは、悩んでいるときよりも、何をすればいいのか分からないときだっていいます。私たちにとって一番の苦しみはその正体が分からず漠然としていることなのかもしれない。自信をつける方法ばかりをを考えがちだけど、自信て一体なんだろう…?って、その正体を考えてみるって、大切です。