元岐阜場面緘黙症親の会代表☆場面緘黙、不登校、LD -2ページ目

元岐阜場面緘黙症親の会代表☆場面緘黙、不登校、LD

三姉妹の母です。
小学校入学直後から4年まで続いた不登校、登校拒否を克服、高校でパワー全開、成人した今は夢に向かって爆進中!
活動してきた場面緘黙親の会は閉じましたが、今もマイペースに動いてます。
日々の気付きを大切にしていくためにブログに綴っています(^ー^)


「話せなかったからこそ…」

今現在、話せない子供をお持ちの方に、このメッセージを伝えたいです。

場面緘黙だった娘は、小学校では全くといっていいほど話すことができませんでした。そればかりか、小学校入学直後から学校に行けなくなり、ほとんどの期間を付き添い登校で過ごしました。
母子分離不安、自傷行為、心身症で入院…軽度学習障害もあり、勉強が苦手でテストでは中学校でも5教科合計で2桁しか取れませんでした。たくさんの問題と向き合ってきました。

娘は今、専門学校に通っています。
話すことは日常生活に困ることはないほどの状態です。ファッションのデザイン画を描いてそれを作成し、自分で着てファッションショーに出たりもします。将来の夢はデザイナーです。
それを叶えるために、あんなに苦手だった勉強も一生懸命やり、いろんな資格をとったり、自分ひとりで美術館などに足を運んで、刺激を受けたりしています。

場面緘黙を経験してきた娘の、最近のそんな姿を見ていて、確信することがあるのです。

それは、
「話せなかったからこそ、今の娘がある」ということです。


話せるようになったとはいえ、自分から進んで話しかけたり、流暢に雑談ができるわけではないので、おそらく回りから見るととても話しかけづらく、またぶっきらぼうで冷たく思われがちな存在だと思います。
ですが、先生から聞くと娘の存在が他の人たちにとても大きく、影響しているといいます。無口ではあるのですが、何か人に伝わるものがあるようなのです。
また、ファッションショーでの娘の姿は、その表情、目線、ポージング、歩き方、とどれを見ても引き込まれてしまいます。(これには親バカ目線も含まれていることをお許しください)。とてつもなく練習しているだろうと思い娘に聞いたら、「ほぼ感覚で動いている」というのです。それを聞いて驚きました。だって、魅力的なウォーキングって、本当に難しいんですよ!!!そして、娘の描くデザイン画はとても個性的です。個性的すぎて、賞をもらえるようになるまでずいぶんかかりました。

私は、娘が今表現しているもの、これは全て
「非言語的な表現」であることに気が付きました。

娘は「言語的コミュニケーション」に大きな苦手さを抱えて、何年もの間過ごしてきました。いろんな事を吸収する大切な子供の時間を、話すことができずにいたのです。話せないって、私たちの想像以上にとてつもなく辛いことだと思います。話せなくても私たちと同じ様に喜怒哀楽があり、それが心のなかに溢れているのです。それを表現することができないのですから。
その間、その言語的な苦手さを補うために、「非言語的」な表現がとてつもなく研ぎ澄まされ、そして、それでも外に出すことができない、たくさんの想いの「塊」を心のなかに抱え込んできたのです。

そんなこれまでの想いの塊(パワー)が、今、「非言語的な表現」として、爆発しているように私には感じられるのです。

だとしたら、娘の今の輝いてる姿は、長い間話せなかった娘のなかで、培われてきたものです。

話せなかったからそこ、今の娘があるのです。


場面緘黙には、話せないことが長く続くことによって起こりうる、さまざまな「二次的障害」があるといわれています。「不登校」「引きこもり」「心身症」などです。これは深刻な問題です。

でも、それと同時に、長い間話せなかったことによって、獲得された能力であったり、研ぎ澄まされてきた感性が存在すると、私は確信しています。まさにそれは「二次的ギフト」です。

きっとこれは、場面緘黙以外の発達障がいでも同じ、聴覚障がいや視覚障がいを持っている人たちも同じ、何らかの不自由さや苦手さを抱えている人達に同じことが言えるのではないでしょうか。

そう考えたら、「障害」と言われるものや「苦手さ」というのは、その子にとって、マイナスや欠点として存在するものではないような気さえしてきます。

「話せない」以外にもたくさんの苦手さを抱えている、場面緘黙の子供たち。

親の方が、将来を心配し、
絶望しがちで悲観してしまいそうな
そんな中で…

子供は必死に戦いながら
ちゃんと「成長している」
「生きている」のだと

そう考えると
子供の力強さを感じ、心が熱くなりました。

私はこれまでにも、この投稿で伝えてきました。

絶対に可能性を信じてもらいたいと。
子供には未知の可能性があると思います。

どうせ話せないから、、、
ではなく、「話せないからこそ」今この瞬間
っている部分もまたあるのです。

話せてなくても、学校に行けてなくても…です

話せないからこそ!
学校に行けないからこそ!
みんなと同じにできないからこそ!
ちゃんと「成長している」「生きている」そんな部分が必ずあります。
今は見つけられなくても、必ず心のどこかで育っています。


私は娘をこれまでも害を持っている」という目でみたことは一度もありません。「他の子よりっている」と言う目でみたことも一度もありません。

親からの、そういう言葉や表情から伝わるメッセージは絶大な影響力を子供に与えていると思います。

心から真剣に「あんたのなかには、今は上手く出せないけど、すんごいパワーがあるんだよ。いつかそれを、思いっきり出せるときが来るからね!」と何度も何度も繰り返し伝えてきました。

それをちゃんと出せるようになったと
単純にそれだけだと思うのです。

今、やっぱり話せなかったり、学校に行けなかったりすることは、本当に辛いし不安が大きいと思います。でも、可能性を信じてあげてほしいです。

そして、前向きな声をかけ続けてあげて、自信をつけてあげてほしいです。

「私ってすごい子なんだ!」

ってたくさん思わせてあげてほしい。


話せないことは絶対にマイナスじゃないです。

話せなかったことがその子の人生の糧になっていく。

今話せないことが「二次的害」となっていくのか「二次的フト」となっていくのかは、私たち親が、子供に伝えていくメッセージで、大きく変えられるのではないかと感じます。

私の経験からのこの「確信」に少しでも共感してくださる方がいたら…ほんのすこしでもそれを信じてくださる方がいたら

不安一杯で必死に生きているお子さんに、「あなたはすごい力をもってる子だから、大丈夫だよ!素敵な子なんだよ!」と、抱き締めて温かい声をかけてもらえたら…すごくすごく嬉しいです。