5年前の3月11日も今年と同じ金曜日でした


がん患者さんの治療をメインに行っている当院

5年前のあの日も、多くのがん患者さんが来院していました


診察室では三好Drが超音波検査の最中でした

大きな揺れ、その後の余震もありで

検査も早々に終了

診察室から出来てき患者さんも

「お腹を出してる場合じゃなかったガクブル」と


抗がん剤の点滴中の患者さんが数名いました

それぞれの点滴ブースにスタッフが1人づつ付き

声をかけながら揺れるパーテーションを押さえていたことを

思い出します


その日から、酸素を導入した患者さんが居ました

帰宅用の酸素ボンベを業者さんが持ってきてくれました

地震でエレベータが止まった時間帯でした

大汗をかき、7階まで駆け上がって持ってきてくれました

患者さんの家族が車で迎えに来てくれました

エレベーターは止まったままでした

三好Drとナースが付き添い

患者さんは酸素を吸いながら階段を下りました

時間をかけ、ようやく1Fにたどり着きました

その後自宅に着いたのは夜中だったと報告を受けました


横浜の患者さんがいました

電車が止まったため、院内に20時くらいまでとどまっていました

少しずつ電車が動き出したという情報が流れたため

帰宅することになりました

院内に常備していた水・菓子などを持たせ、送り出しました

「リュックで来院していたのが幸い」と帰っていきました


京都からの患者さんが居ました

当然帰れませんし、帰せませんでした

帰せない患者さんのために

三好Drとナースがクリニックに泊まりました



夜、三好Drが食糧を買い出しに行来ました

手に入れてきたのはケーキケーキでした 

なぜケーキはてなマークと聞くと、デパートは閉まり

コンビニのほとんどのものが売り切れていて

ケーキ屋だけが開いていた と・・


その日遅くまで残っていた私たちは

ビル側が用意した備蓄用のスープとビスケット

そして三好Drが買ってきてくれたケーキを夕飯にいただきました



その他、地震の前に治療を終え

帰宅途中で帰宅困難になった患者さんもいます

駅の構内にも入れず、心細い思いをしたとのこと


また、調子が悪いためタクシーで帰宅された方が

途中で地震に遭い、交通渋滞に巻き込まれ

自宅まで5時間もかかったという方もいました



あれから5年が経過したのに

5年前の記憶が鮮明に残っています

あの日、あの場所に居た人々の顔がそのまま浮かびます



あれから5年が経ちました


がんを抱えながらも、あの日と同様に通院されているIさん


そして、当時のスタッフでは

  遅くまで残っていた受付スタッフは2児の母になり

  宿泊してくれたナースは1児の母になり

  もう1人のナースは臨月ママ



時は流れども、生かされている私達

一生懸命に生きなければ・・と改めて思わされる3月11日です