昨日は
長江健次君の番組に出演したあと
その足でNHKホールへ。
楽しみにしてたひさびさの
沢田研二さんのライヴに
招待していただきました。

ははは偶然にも
ダブル・ケンジ・デイだったわけだね。






沢田さんのライヴを見るのは
なんとほぼ30年ぶりのこと。
ワクワクしながら席についたのは
開演の30分くらい前の16時半でした。

このライヴに先立つ1月6日の
国際フォーラム Aでのライヴで
僕が2000年に沢田さんのために
書き下ろした
「アルシオネ」を歌ってくれたという噂を聞きつけては
じっとしておれずに
雨にも負けずの馳せ参じとなりました。

あいにくの雨の肌寒い天候にもかかわらず、
しかも通常の始まりより早めの開演だというのに
早くからもう満席に。
おお、やはりといえばやはりだけど
ほぼ100%近い女性ファン。
やっぱりジュリーだ。

どきどきしながら開演を待っていたら
いよいよ暗転となりステージ上にメンバーが、
そしてジュリーも。

と、聞いたことある馴染みのイントロ!!
まさかのオープニング曲が
「ストリッパー」!!
思わずオイラはどっきりの
うれしい闇討ちを受けてしまいました。

レコード大賞のこの曲の編曲賞で
ノミーネートされて
1981年の帝国劇場関係者席の末席で
あのズダダ ダダダ ダダダ ダダダの
ドラムのイントロを聴いた時の
あの興奮が蘇ってきました。

僕のこれまでのすべてはこの曲から
始まったといっても過言ではありませんから。

うん?
もう長い間沢田さんのライヴを
みてなかったので
あまり克明には覚えてなかったんだけど
こんなにステージ上を
右から左に
左から右へと
激しく
動き回って歌ってたっけ?

それはいくつかのバラードのときを除いて
ライヴの最後までとぎれることなく続きました。
もう立派なロックンロールショー!!

驚きました。
あれから30年以上も経ってたというのに …
僕の目には
昔よりもアクティヴなステージに見えた。
ミック・ジャガーにも決して
負けてはいませんでしたよ。

ああ、来てよかった。
僕もわれを忘れて
会場のみなさんと同じように
立ち上がって
ビートに身をゆだねてしまいました。

そしていよいよ生「アルシオネ」。





響きました。
生で聴く歌声は
ほんとに豊かでスペーシー。
スケールの大きな表現力で
僕のこの曲への想いをしっかと受け止めて
壮大な包容力のある曲にしてくれていました。

あの「渚のラブレター」で
聞くものの心をとろけさせてくれた
あの歌声は健在。
これぞまさしく
沢田さんならではの
歌のチカラです。

歌に身をゆだねながら
デヴィッド・ボウイと沢田研二さんをダブラせて
思いをこめて作ったこの曲を
そのボウイが亡くなってしまったその直後の
このタイミングで聴いてるなんて
なんて人生は不思議なの?

生で「アルシオネ」を聴きたいという気持ちに
駆り立てられてきた僕はもうその時点で
満足してしまったかというとそうではなかった。
それはただの氷山の一角。
たんなるジュリー・ワールドへの入り口に過ぎなかった。

NHKの「Songs」で見て衝撃を受けた
「我が窮状」を
そして噂に聞いた
「F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)」が
始まったあたりから
いっきに「今」のジュリーの世界に
ひきずりこまれていきました。

そしてそれを体験してしまったあとでは
メッセージソングもかってのヒットナンバーも
なんの矛盾もなく
すべてをジュリーの世界として
受け止めている自分がそこにいた。

そこにはいくつもの時代の
変遷を精力的に前向きに
サヴァイヴしてきたものだけが持つ
多面的な顔を見せながら
その奥に変わることのない
コアなる沢田研二像があった。

曲によっていくつもの側面のジュリー像が
頭の中をよぎってゆき
そのすべてのジュリー像がなんの
違和感もなく現在のジュリーへと
収束していたのでした。

意外にも「麗人」がよかったなあ。
むかし聴いたときと全然印象がちがってた。
そして震災以降のジュリーの曲を
聴いたあとに聴く
「カサブランカ・ダンディ」の聴こえ方の
ちがいには驚かされた。
それはただの懐メロなんてものではない
「いま」の歌でした。

長いあいだそのアーティストを見守っていて
ようやく見えてくる
そのアーティストの本質に
ふれることができたようで
そしてありていな言い方かもしれないけど
同じ時代の空気をいっしょに呼吸しながら
ここまでこうして生きてこれて
この場所で自分の存在確認ができている
この喜びにしっかりと満たされたライヴになりました。

来てよかった。
ありがとう。いいノリをいただきました。
おっしオイラも負けてはいられないぞ。

終わって楽屋を表敬訪問すると
僕がはじめてあの「G.S. I Love You」で
いっしょにお仕事をしたときにご挨拶した時の
あの笑顔で沢田さんが迎えてくださり
なんと打ち上げにもどうですかと誘ってくださいました。

かっていっしょにスタジオにいたときは
アレンジの仕事に夢中だった僕は
沢田さんと話す機会があまりなかった。

しかもこんなにおしゃべりな僕が
なぜか沢田さんの前だと言葉少なになってしまう。

せっかくお誘いを受けたのに
昨日の打ち上げでもなかなか
話の糸口が見つけられなくて
シノゴノしていたオイラですが
意を決して
すなおなライヴの感想やら
こないだのタイガース再結成に
興奮したことなどを話しかけたら
そこからそれにまつわる
エピソードをいっぱいお話して
くださいました。

どんなお話かって?
うふふ、それだけは
ヒ・ミ・ツ !!

僕は個人的になぜこのタイミングで
「アルシオネ」がセットリストに入ったのかが
興味深かったので尋ねてみると
なんと僕がMXテレビの小室等さんの
「新・音楽夜話」に出てたのを
たまたまごらんになってて
僕のことを思い出してくださったことが
きっかけのひとつだったと聞いた時は
またうれしい驚きでした。

いやあ、どこでどなたが見てるかわからない。
いつも自分に手は抜けないね。

そして「偶然」ってヤツは
知らないうちに「必然」ってヤツを
連れて来てくれる
パワーを持ってるヤツなんだと再認識しました。

そして
打ち上げのちょうど隣だったせいもあって
ひさしぶりに
ジュリー・バンドの一番の古株ギタリスト
柴山和彦君ともじっくり話ができました。






彼の開口一番は
「いやあ、あの時のロンドンレコーディングは
エキサイティングだったね。」

いやあ
沢田さんとエキゾチックスとの
1980年のアルバム「ストリッパー」の
ロンドン録音は僕だけじゃなく
彼にとっても忘れられない出来事だったんだなあ。

しばしそのときの思い出話に。
彼があの「ストリッパー」の大胆なフレージングを
チズウィックのEDEN STUDIOSでプレイしたときの
あのスリリングな瞬間がすっかり蘇りました。

楽しいときはあっというまに過ぎて
お開きとなり沢田さんに
感謝の意を告げておいとましようとしたとき
またぜひライヴを見にきてくださいね
とのうれしい一言が。

いやあ
じ~んときました。

え? また伺ってもいいんですか? 
ありがとうございます と
表向きには
控えめなリアクションのオイラでしたが
心の中では大きな声で
「いいとも~~!!」と叫んでおりました。
ははは。

すべては神のみぞ知る。
縁とゆかりを大事にする
ナイアガラの流れをくむ
僕としてはここから
何かが起きるなんて
おおげさなことは期待しませんが

沢田さん
オイラもがんばるから
あとちょっとだけなどと言わずに
まだまだガンガン行っちゃってくださいね。