「銀ちゃんの青春ギター巡礼  その3

1968年に、なんとスタジオ盤とライヴ盤の2枚組というボリュームの、クリームの「WHEELS OF FIRE」が全米アルバムチャートの1位に輝いた時、1966年あたりから始まったいわゆるニューロック・ブームがひとつのピークを迎えた。
多くのファンの期待が盛り上がる中、なんとその絶頂のクリームが解散してしまい。ゴッドと讃えられたブルース・ロック・ギターの申し子、エリック・クラプトンは、デラニー&ボニーと出会い、よりルーツ・ミュージックに回帰した方向に転換。レスポールからストラトに持ちかえたプレインなギター・トーンには、あの「くくくーーー」という「ウーマン・トーン」のかけらすらもなかった。歪んだギター・サウンドにこそロックを感じていたため、目標を見失いとまどうばかりだったのは、銀次少年ばかりではなかったはずだ。当時大ブーイングのこのときのクラプトンのサイケデリアからの亡命は、あとから考えれば実に大正解だったのだが。

そんなときクラプトンが下ろしてしまった「ウーマン・トーン」の看板を見事に継承してくれたのが、レスリー・ウェストだった。
1969年に「マウンテン」というソロアルバムを出した時はそれほどのインパクトもなかったが、そのままアルバム・タイトルがグループ名になり、なんとクリームのプロデューサーだった、フェリックス・パパラルディがベーシストとして参加、プロデュースと作曲をてがけてからおもしろくなってきた。
パパラルディがクリームの夢の続きをレスリーに託し、このマウンテンで見ようとしたからそうなったのかは定かではないが、まるでクリームの再来だった。

「ウーマン・トーン」とは、クリームの「Sunshine Of Your Love 」で聞ける、甘く伸びのあるディストーション・サウンド。
まるで女性が声を殺して泣くような音色だということで誰かがつけた呼び名だ。
後年、フェリックス・パパラルディは、日本のNO.1ブルース・ロック・バンド、クリエーションのプロデュースを手がけた。
ラッキーにもNHKの「BS ロック第全集」で、そのクリエーションのギタリスト、竹田一夫さん、そして、つのだひろさん、吉田建さん、シーナ&ロケッツの鮎川誠さんとシーナさん、僕とで、クリームやジミヘン、ツェッペリンなどの曲をメドレーにしてセッションさせていただたことだあった。
竹田和夫さんといえば「ウーマン・トーン」の使い手。彼が繰り出すギターの音色に、その番組のホストだったうじきつよし君が、司会もそっちのけで、「ウーマン・トーン!ウーマントーン! おい本物だよ。ウーマントーーン! 」と狂気乱舞し、短い間に100回ほども「ウーマン・トーン」を連呼していたのが、まだ鼓膜に焼きついている。おっと余談になった。

世の中的にはマウンテンの代表作は「Mississippi Queen」だが、僕がよくコピーしたのは邦題「想像されたウェスタンのテーマ」。現代のメタルなロック・ギターと比べると、ハエでも止まりそうにゆったりとしたフレージングだが、この歌ゴコロは並ではない。歴史に残る名フレーズである。





2012年2月18日