「伊藤銀次の ポップスこんなん出ましたけど 第4回」

前回の「うれしいあの娘」の回で、「杉田玄白と前野良沢の解体新書みたいなその話はまたいつかするとしよう」と書いたら、即座に高浪慶太郎君から、ぜひ聞きたいですというリクエストが来た。ちょっと時間がたっちゃったけど、高浪君からのたってのお願いということならばお話しするしかない。

1965年頃、リード・ギターには興味がなくて、ジョン・レノンみたいに、エレキ・ギターをジャカジャカかき鳴らしてひたすら歌いたかった銀次少年。
ところが当時は楽器屋に行ってもヴェンチャーズの譜面しかなくて、マージー・ビートやフォーク・ロックのコード譜はどこにもなかった。
それでもジョンみたくギターをかき鳴らして歌いたいという欲望をおさえることはできなかった。
なんとか自分のチカラでレコードから耳コピーするしかないのだと、夜空に向かってこぶしをにぎりしめた銀次少年であった。

せめてまずコードを憶えようと、地元の栄町商店街にあったコダマ楽器店へコード・ブックを探しにでかけた。

うーん、どの本を見ても、膨大な数のコードを全部暗記しなければならない感じ。道は遠く世界は広大に見えた。前途真っ暗になりあやうく挫折しかけたとき、すんばらしい本と出会うことができた。
「ギター・コードのABC」というタイトルのその本は他のコードブックとアプローチがまったくちがっていた。
ギターにおけるコードの概念、世界観を、初心者の僕にもわかるように示していたのだ。

開放弦を使ったロウ・ポジションEが書かれ、それを上に1フレットずらすとF、さらに2フレット上にずらすとG、さらに2フレットでAというふうに説明してあるではないか。同じようにAとDのロウ・ポジションのフォームを憶え、それを平行移動していけば、どんなキーでもOK、無限にあるようにみえたコードが、基本フォームさえ憶えればどんなキーでも演奏できることがわかっていきなり視界が開けた。

この本に出会っていなければ、僕はそこより前には進めなかったかも。
えー、そんな時代がほんとにあったの? という若い方もいらっしゃると思うが、ほんとなのであるよ。
杉作!日本のロック・ミュージックの夜明けはまだまだ遠かったのだ。

そしてその本を頼りに、生まれて初めてコピーしたのがハーマンズ・ハーミッツの「ミセス・ブラウンのお嬢さん」。なぜその曲だったのかはもう忘れてしまった。キーがCだったことが関係あるのかと言えばそうかも知れない。

さて、ここからが「解体新書」の世界である。
まずレコードに針をおろす。ジャッと和音がひとかたまりになって聞こえる。その中から1個でも単音が聞きとれたら、その音をジャッ、ジャッと口で歌いながら、ギターの指盤上で探すのであった。

その音が何弦の何フレットだかみつかったら、今度はその音が含まれるコードを「ギター・コードのABC」でひとつずつ試して行く。今から思うと気の遠くなるような作業をしていたものだ。まるで、エドガー・アラン・ポーの「黄金虫」での暗号解読、杉田玄白と前野良沢の解体新書さながらである。
なにが銀次を駆り立てたのか?理論もわからない15歳の探究心を阻むことは誰にもできなかった。

そうしてやっと見つけたコードネームを大学ノートにひとつづつ書き付けて行く。
わからない和音はそのまま空白にしておいて、また次の日、新鮮な耳で聞き取りのトライ。
穴だらけだったノートの1ページ目が次第に埋まっていき、どれくらいかかったろうか、たぶん1週間だか2週間だか1ケ月だか、ようやく「ミセス・ブラウン」を完全コピーすることができたのであった。

その後も、「針を下ろすジャッ聞く口ずさむ探すコードブック試す」を何度も繰り返し、他の曲もコピーしていくと、それが一種の循環コードだとか、キンクスやポール・リヴィアなどの同じコードの平行移動だとか、マッコイズなどの「ルイルイ・コード」など、いくつもの法則やパターンがわかってきて、コピーが次第に早くなりおもしろくなってきた。ぼくの大学ノートはみるみると埋まって行った。

昨年武蔵小山アゲインで大瀧さんにひさしぶりにお会いしたとき、「笑っていいいとも」の「ウキウキWATCHING」、あれはミセス・ブラウンだろ?とだしぬけに言われてドキっとした。まったく意識してなかったのだが、そう指摘されると、うんそうかも知れない。まさかはじめてコピーした曲がそんな形で姿を現わすとは ... 。

70年代になって山下達郎君に出会い、はじめて彼のお家に遊びに行った時、押し入れの奥から黄ばんだ譜面の束を出してきた。それは中学だか高校の夏休みに、理論もわからないまま何度もレコードを聞いてコピーした、ビーチボーイズのコーラス譜だった。これがなかったらその後の僕はなかった、だから捨てられなくてねとうれしそうに語っていたっけ。
ああ、僕もあの大学ノートをとっておけばよかった。(2012年3月28日初出)