「伊藤銀次の ポップスこんなん出ましたけど  第3回」


武蔵小山アゲインでの「銀流フォークロック伝」のラヴィン・スプーンフルの巻まで、あと1週間だ。ここんとこずっと台本作りにのめっている。スプーンフルは特別思い入れがあるからね。

「You Didn't Have To Be So Nice」はとても想い出のある1曲。高校1年のとき組んでいたバンドでカバーしていたからだ。何度も何度も歌ったので、いまでも自分の歌よりも歌詞を憶えているかもしれない。自慢にはならないけど ... 。

ひとつもむずかしい単語がないのに、なかなか高校生の僕には感覚的にイメージのつかめないタイトルと詞だった。邦題は「うれしいあの娘」。うーん、ますますわからなくなった。(笑)

ビートルズみたいに歌いたくてギターを弾きはじめたので、リード・ギターには全然興味がなかった。ジョン・レノンみたいに、エレキ・ギターをジャカジャカかき鳴らしてひたすら歌いたかった。

ところが当時は楽器屋に行ってもヴェンチャーズの譜面しかなくて、僕が歌いたいマージー・ビートやフォーク・ロックのコード譜はどこにも売ってなかった。
しょうがないから、ひたすら毎日レコードを聞きながら、少しずつコピーして行くしかなかった。杉田玄白と前野良沢の「解体新書」みたいなその話はまたいつかするとしよう。

僕の周辺では、リード・ギターを目指す連中ばかりだったので、リズム・ギターを弾くヤツは少なかった。おかげでいろんなバンドから誘われたのはラッキーだった。合計で4つくらいのバンドを掛け持ちしていた。

そのなかでも一番愛着のあったのは、そんなに上手でもないくせに、やたら音楽の趣味にうるさいバンド。レパートリーはサーチャーズの「ピンと針」、タートルズの「悲しきベイブ」、ザ・シャドウズ・オブ・ナイトの「グローリア」、キンクスの「Well Respected Man」、そしてラヴィン・スプーンフルの「デイドリーム」と「うれしいあの娘」。練習より音楽談義に熱いバンドだった。

当時「うれしいあの娘」をカバーしながらも、なんか響きがちがうなあと思っていた。まだ分数和音を知らなかったせいだが、それはそれでそれなりに悦に入って演奏していたから、その頃のテープがもし今あったら赤面ものなんだろうな。
今でも、水玉模様やボーダーのシャツが好きなのは、きっとスプーンフルからの影響だと思う。

ちなみに、このバンドのリード・ギターで学友だった岩田彰一郎君が、なんとASKULの社長兼CEOだということを、TOKYO FMの人に教えてもらったときはほんとに驚いた。あまりに畏れおおくていまだに連絡できないでいるのだが ... 。