「なんとなくこのまま続く」と言っておきながら、そのまんまになっていた「サンデー銀次」。言葉どおり続けよう。
もうスマンの涙やイカンのなんとかなど言ってられない。サクサク書くぞ!
「サンデー銀次」、なんとかこの失われた2ヶ月を取り戻さなければ ... 。

と、話はどこまで行ったんだったっけか?
そうだ! ギターケースを空けたら、カポタストとギター用のシールドが入ってなかった。
facebookで知り合った国立のみなさんと直にお会いできたうれしさで、すっかり浮かれ気分で片付けてたから、地球屋にシールドとカポタストを忘れてきてしまったのだ。さっそく電話をかけて確認していただき、今度とりに行くまでに保管しておいてくださいとお願いしたのであった。そしてそのタイミングを伺っていたら、2月29日の「くにっこ音楽祭2012」のキックオフ・ミーティングに、成瀬君からお誘いが来た。よしそのついでに取りに行こうと、心に決めたのであった。

その当日、東京は記録的な大雪で交通機関が心配されたが、なんとか動いてくれてたので、国立駅近くのカフェ・ラフレスカに夜7時過ぎになんとかたどり着くことができた。
キックオフ・ミーティングっていうくらいだから、4月に開かれる音楽祭への、顔合わせ&エイエイオーくらいの軽い気持ちで参加したら、もうみなさんギンギンのやる気まんまん。国立在住でない僕までよーしという気になってきた。

まずオープニングで、推進役の成瀬英樹くんが座を盛り上げるために、特別仕立ての「スペシャル・銀次・リミックス」を一発。シュガー・ベイブの「DOWN TOWN」をベーシックにして、そこにウルフルズの「ガッツだぜ」やジュリーの「おまえにチェックインや」、はたまた佐野君の「SOMEDAY」などを折り込んだメドレー。僕のしてきた仕事を、音楽祭のスタッフにアピールしようという成瀬君の粋なはからい。うれしいねー、ありがたいねー。ノリノリの状況に思わずiPhoneを取り出して、感謝をこめてパチリといかせていただいた。


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師匠あたためときましたとバトンを渡されたが、さすがに真横にいたのでちょっち恥ずかしかったよ。
だけどありがとね。成瀬君がいい空気を作っといてくれたので、初顔合わせのみなさんとも、すっと打ち解けることができた。

何か1曲をと言われてたので、1曲といわれたらこれかなと、「幸せにさよなら」を歌ったら、うれしいことにアンコールをいただいた。いくぶんのアウェイは覚悟で来ていたのに、このアット・ホームな歓迎ぶりにはマジほろり。喜んで「 BABY BLUE」を歌わせていただいた。



そのあと、生まれて初めての体験、インディアン・ミーティングに参加させていただいた。
僕らのライヴはセミ・ファイナル。実はこれが本日のメイン・イベントだったのである。


狩りに出る前に、インディアンはそのメンバー間で、狩りに対するそれぞれのプランから、家族のことやら日常のなにげないことまでを忌憚なく話し合うそうだ。そうして狩りに出るとはなばなしい成果を上げることができるという。


全員がひとつのテーブルに4人でチームを組み、各チーム内で音楽祭を成功させるためのアイデアを出し合う。僕は国立市民ではないが、みなさんの勢いに気圧されて、いつのまにか「くにっこ」のような気持ちで、耳を傾け発言していたようだ。

終って、いろんなアイデアがつぎつぎ各テーブルのリーダーから発表された。その中で一番イエイが起きたのは、国立のお店に925円メニューを出していただこうというアイデア。くにっこ = 9・2・5だからね。
国立に住むひとたちは自分たちのことを「くにっこ」と呼ぶのであった。
そうすると僕は川崎市に住んでいるから、「かわっこ」ということになるのか。まもなく春。しがこも溶けて、くにっこだのかわっこだの、そろって音楽祭をエンジョイだ。


それにしても国立ピープル、ノリがいい! インディアン・ミーティングでますますそのノリに拍車がかかってみんな4月14日に向かってまっしぐら。
お店の表にはまだ雪が積もっていたというのに、みなさんの音楽祭への熱い想いで、中はまるで常夏のようだった。



まさかこんなに国立と深く関わることになろうとは思っていなかったが、ふりかえってみると、僕が意識をしていなかっただけで、銀ちゃんの国立行進曲は、知らず知らずのうちに、その演奏が始まっていたことに気づいた。


実は国立には、成瀬君と始めた「国立RIDE ON」で初めて来たのではなかった。
「サンデー銀次」2010年11月22日号の「怒濤の3日間 Part.2 ~ 国立 RIDE ON」にも詳しく書いてあるように、それまでにすでに2度訪れていたのである。


僕の初国立は1988年だったか1989年だったか、レギュラーでやらせていただいていた「FMナイトストリート」というラジオ番組の中の、「クマと行くならこんな店」というコーナーで、鉄板焼きのお店を紹介しようと来たときであった。

クマとは、当時の銀次バンドのドラマーだった熊倉隆くん。フェビアンのドラムと掛け持ちでやってくれていた。
その頃テレビで放映していた「たまに行くならこんな店」というグルメ番組のタイトルをパロって、クマちゃんが住んでた国立の行きつけのお店を紹介するという企画。残念ながら1回でおわってしまったが ...。

ちょうどイカ天の頃でもあった。おりからのバンド・ブーム。流行りものに弱い僕は、シンガー・ソングライターというよりバンドのヴォーカルという気分でいたから、ラジオでも銀次バンドのメンバーをフィーチャーしたコーナーを作ったのである。

ベースのコイさんこと小島明浩君のコーナーが「コイさんの東京釣り日記」。
当時コイさんは釣りにハマっていて、じゃあと多摩川上流までロケを敢行したが、こういう時にかぎって、一匹も釣れず、なかなか微妙な録音となってしまった。

そしてキーボードの佐藤史郎君のコーナーが「佐藤史朗の青春キャッチボール」。
リスナーから投げられたお悩みを史郎君が受け取って、答をやさしく投げて返すという、感動の人生相談コーナーになるはずだったが、おもいのほかお葉書が集まらなくてこちらも微妙な展開となり、どちらも「クマと行くならこんな店」と同様、足並み揃えて1回で打ち切りとなってしまった。
こういうのを企画倒れというのか ... 。うーん、ナイスなアイデアだと思ったんだけどなぁー。



「佐藤史朗の青春キャッチボール」のテーマソングがこの曲でした。青春のお悩み相談コーナーだったから。それ以来この曲を聴くと佐藤君の顔が浮かぶのです。


話がどんどんそれていく。「はずれ出したら止まらナイト」だ。ぐっと戻して ... 。
2度目に国立にやってきたのは、世田谷から僕のランニングの師匠の成岡さんと、焼きとん屋「文蔵」めざして走ってきたときだ。

谷保駅のすぐ近くにあった「文蔵」は、残念ながらもう店を閉じてしまったようだが、高倉健さん主演で映画にもなった「居酒屋兆治」のモデルになった有名なお店。
僕は今はもうお酒を飲まなくなったが、この頃は成岡さんと東京中の居酒屋の名店といわれる名店に走っていって、旨いお酒と肴を味わったものだった。

一番遠くへ走ったのは、横須賀の「銀次」というお店。わざわざ名刺を持参して、「僕も銀次といいます。」と女性店主にお渡しした。芥子を片面に塗ってある湯豆腐が旨かったがさすがに横須賀は遠かった。

おっとまた横道に。その日、世田谷から2時間以上かけてようやく文蔵あたりについたが、まだ文蔵はあいてなかった。銭湯で汗を流す時間を考えての到着時間。なのに計算がはずれた。
近所にあるはずの銭湯がつぶれていたのだ。汗を流さないことには旨い酒が飲めない。土地の人に聞くと国立駅のほうにいくと銭湯があるという。

文蔵は小さなお店で地元で人気のお店だから、店が開くとすぐに席が埋まってしまう。あせる気持ちを押さえつつ、国立大学通りを国立駅のほうに走って別の銭湯を探したことを、成瀬君たちと通り沿いの地球屋に向かって歩きながら思い出していた。
銭湯に向かって走ったあのとき、まさかもう一度この通りを歩くことになるとは夢にも思わなかった。






えっ?地球屋に忘れてきたカポタストとシールドは回収できたのかって? チェック鋭どいじゃないの。
それが、早めに出かけて立ち寄るつもりが、おばかなことに遅刻してキックオフ・ミーティングに入ったものだから、結局寄れずじまいだったのです。すいません地球屋さん、もうちょっとおいといてくださいな。お願いだから、燃えないゴミに出さないでくださいませませ。

くねくねうねうねと つづく